トランプからバイデンに政権交代しても、米中対立の打開は難しそうだ。「新冷戦」は避けられないのか。東洋学園大学の櫻田淳教授は「こうした国際政治情勢を前にして、振り返られるに値するのは、ジョージ・F・ケナン(歴史学者)の思考である」と指摘する――。
中国とアメリカの国旗が描かれた二つの鉄球の衝突
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「第2次冷戦」の流れが定着する中で

ドナルド・J・トランプ(米国大統領)の執政4年の歳月が浮かび上がらせたのは、マイケル・R・ペンス(米国副大統領)の「2018年10月、ハドソン研究所演説」やマイケル・R・ポンペオ(米国国務長官)の「2020年7月、ニクソン記念館演説」に象徴されるように、米中両国の確執の様相が鮮烈になった風景である。そして、この米中両国の確執は、日豪加印各国や西欧諸国に拡散することによって、第2次冷戦としての流れを定着させている。

こうした国際政治情勢を前にして、振り返られるに値するのは、ジョージ・F・ケナン(歴史学者)の思考である。ケナンは、第2次世界大戦後、第1次冷戦初期の米国の対ソ連「き止め(containment)」政策の立案を主導した人物として知られているけれども、国務省退官後にはプリンストン大学を拠点にして歴史研究を手掛け、数々の評論を通じて「米国の20世紀」を凝視し続けた。

ケナンを扱った評伝の一つには、「文明は消滅するかもしれないが、良心は消滅しない。ケナンの著作を将来読む読者は、そのとき残っているアメリカにおいて、良心の宝庫になるであろう」という記述がある。「西方世界」、すなわち日米豪加各国や西欧諸国の「自由、民主主義、法の支配、寛容、開放性を旨とする『文明』」が揺らぎ、それとは異質な「文明」の上に成った権威主義的「中国型統治モデル」が擡頭たいとうするかに映る現今なればこそ、「米国の良心」と呼ばれたケナンの言葉に触れる意義はある。