「英知を秘めた相談相手」としての日本

就中なかんずく、ケナンは、1970年代後半に著した『危険な雲』(秋山康男訳、朝日イブニングニュース社、1979年)書中、日本の位置について次のような記述を残している。

米国にとって日米関係とは双方が国際問題でそれぞれ思慮深くかつ役に立つよう振る舞う能力を持っているか否かを試す独特な尺度となっている……。もし、これに成功できないようなら、われわれがどこへ行っても事態は思わしく進まないだろう。日本が戦後そうであり続けたように、今後も極東における米国の地歩の要石であり続けねばならないのは、こうした理由によるのだ。要といっても、受動的ではなく能動的に発言する要石であり――しばしば優れた英知を秘めた相談相手となり、われわれが時には導きを、時としては指導性さえを求めて対すべき要石であり続けねばならないのだ。

そして、この記述に示されたケナンの対日期待に反映されたのは、日米両国には戦争という不幸な時代を経たが故に「一種の親密さが生じた」という認識であった。それは、半世紀前、「太平洋という海洋をはさんであい対峙たいじした二大海軍国が、心から手を握るために、支払わなければならなかった巨大な代償」として戦争の意味を評した永井陽之助(政治学者)の認識と明らかに重なり合っている。

筆者は、1970年代後半にケナンが提示した「受動的でなく能動的に発言する要石」という日本像に、甚大な影響を受けてきた。筆者は、日本が米国に「導き(guidance)」も「指導性(leadership)」も示すという姿勢にこそ、対米関係で大事なものがあると得心したのである。

日本の対外姿勢における「受動性」の呪縛

しかしながら、日本の実際の対外姿勢は、近年に至るまで、ケナンの期待とは裏腹な「受動性」に彩られてきた。五百旗頭いおきべまこと(政治学者)が小泉純一郎内閣の業績と評した「対米関係の高次元化」にしても、それは、2001年の「セプテンバー・イレヴン」から2003年のイラク戦争開戦に至る過程で、小泉純一郎(当時、内閣総理大臣)がジョージ・W・ブッシュ(当時、米国大統領)の立場に一貫して明確な支持を与えたという事情にる。

五百旗頭が「類例のない政治家」と評した小泉でさえ、「対テロ戦争」に乗り出そうとしたブッシュ政権下の米国を前にして、米国が受け容れる言葉や構想を「導き」や「指導性」として発したわけではない。日本の対外姿勢における「受動性」の呪縛はことほか、強かったという評価になる。