選手登録枠の「16人」に入れても出走枠の「10人」に選ばれない
選手として残った者たちも箱根駅伝に出場するには、“2つの関門”をクリアしないといけない。最初は選手登録ができる「16人」のなかに入ること、次は出走する「10人」に選ばれることだ。
チームエントリーは毎年12月10日に行われるが、ここで外れると、その後にどんなに調子を上げても本番を走ることはできない。メンバー入りが微妙な選手たちにとって“運命の日”といえる。
しかし、その前から“メンバー選考”は始まっている。たとえば、日々のトレーニングは実力に応じて、A、B、C、Dのように各校3~5つぐらいのグループに分けて行われる。夏合宿ではAチーム20人とその他という具合に2チームに分けて行うケースが多い。そうなると、正月の本番の数カ月前にあたる夏合宿から選手たちは「16人」を強く意識する。
チームエントリーは速い順に16人を選ぶのが普通の考え方かもしれないが、実際は違う。箱根駅伝では“山”があるため、山登りの5区と山下りの6区の候補を厚めに選ぶなど、特徴の異なる選手を組み合わせて選出するのだ。
たとえば走力的には20番目でも、下りを走らせたらチームで1番速いという“特技”を持つ選手だと、6区候補としてエントリーに入りやすい。反対に10000mのタイムはいいけど、ひとりでは走れないという選手はエントリーの段階で外される場合もある。
駅伝では単独走になるシーンが少なくないため、自分でペースを作り、確実に走れる選手でないと指揮官たちは怖くて起用できないからだ。また同じぐらいの実力なら、来季以降のことを考えて、下級生が選ばれる傾向が強い。
16人の登録選手はエントリー直前の「実力」が重要視されるものの、夏合宿の消化具合、主要大会の結果も考慮される。ただ、どんな選び方をしても、一部の選手からは不満がでる。1年間、箱根を目指してやってきたわけなのでそれは当然かもしれない。それでも、外れた選手たちもチームのために働かなければならない。
「僕の箱根駅伝は終わった。でも僕たちの箱根駅伝は終わってない」
山梨学大・上田誠仁監督はメンバーから外れた選手が翌日の朝練習に一番乗りで来て、「僕の箱根駅伝は昨日で終わりましたが、僕たちの箱根駅伝は終わっていませんから」という言葉を聞いて、涙ぐんだ経験があるという。
エントリー16人に選ばれた選手たちは、全員がギリギリまで出走の準備をするが、外れた部員たちにも役割がある。まずは出走選手の付き添いだ。ストレスのない環境を整えて、レースに集中できるように、選手たちの身の回りをサポート。荷物の持ち運びはもちろん、選手の話し相手になり、リラックスさせる。レース前にサインをねだるようなファンからガードするのも仕事だ。大学によっては、沿道に立ち、前後チームのタイム差を計測して、選手に伝えるところもある。
それから各大学にはもうひとつ重要な役割がある。それは関東学生連盟としての仕事だ。箱根駅伝では加盟大学から「補助員」を出すことになっている。前回大会は日本体育大が120人、国士館大が70人、東海大が56人、順天堂大が55人、日本大が52人というように、トータルで1000人を超える陸上部員が「走路員」などの補助員を担当している。
本戦出場校だけでなく、予選会落選校からも補助員を出すため、前年の正月に補助員をして、その悔しさをバネに箱根路を走った選手も少なくない。
明治大・山本佑樹駅伝監督は出身大学の日大1年時に箱根駅伝予選会で見事日本人トップを飾りながら、チームは敗退し、本選出場はかなわなかった。箱根駅伝では、補助員として10区の最後、選手が走り込んでくる大手町でゴールテープを持ったそうだ。