「面倒なことが安心」の意味

御厨さんが「婆ちゃんたち」「あの人たち」とママたちを指して言うとき、軽口のようでいて、腹の底から響かせている尊崇の音が混ざっているのが分かった。

名物ママのいた「会津」を中心に、20年以上客として横丁通いをし、歳を重ねて店に立ちにくくなった会津のママから2010年には店の鍵を託され、自身や常連が店に立つようにもなった。ママの家まで様子見に顔を出し、入院すれば見舞いに通った。病室には常連客の姿もあった。ママが2018年に亡くなったあとは完全に店を継ぎ、今日まで守っている。

彼の言う「面倒なことが安心」とはどういうことだろうか。

「我慢を越えてきた」高度成長期のママたち

第二世代、高度成長期の若きママたちは、昭和の間はもとより平成後期に入るまで健在の人ばかりだった。それが4、5年前から病気で引退したり、亡くなることが続いた。女性たちの多くは、独り身。御厨さんは、多くのママたちを見送ってきた。

「婆ちゃんたちが入院しているところも、お葬式も、たくさん見てきました。でもそういうものを『見る』ことが自分のためにもなったんです」

今度は、「見る」?

こんなママもいた。老いてもカクシャク、毎夜店で自分も飲みながら、深夜バスで夜な夜な帰宅する小柄なママ。「夜中、酔ってひょこひょこ歩いてるのを見かけると客が心配になっちゃってみんなバス停まで送っていく」ママ。ある夜もいつものようにバスで帰った。が、翌日別のママが電話をかけても出ない。布団のなかで休み、そのまま亡くなっていた。80代後半だったという。好きな酒と商売を全うして亡くなったから幸せだっただろうと、周囲は言った。常連たちにそう言わせる姿のみを見せ、彼女は亡くなった。

「毎日横丁で婆ちゃんたちを見ていると分かります。計り知れない人生ですよ。でもあえて聞きません。ただ我慢をしてきているのは分かる。体育会系の我慢とは違いますよ。そういうのではなく生きていく上で仕方なかった我慢を越えてきているから、一つひとつ言葉を聞いているだけで自分ももらえているものがある。これを守りたいんです」

「一人で立てる」ママたちだけれど、それでも助けてほしい時少し手伝うのは普通の人間がやることでしょう? とグラスを傾け御厨さんは笑う。

のんべい横丁と書いたアーチ看板の先にずらりと提灯が並んだ通り
出所=『横丁の戦後史』
柳に赤ちょうちん。巨大ターミナル駅前にこんな横丁が残るありがたさ。