いつもは繰り返し飲みに出て、古老に出会い、また人を紹介してもらうのを重ねることで、昭和の昔話をやっといくつか聞き取るというフリート横田氏。ところが、100年に一度の再開発が進む渋谷駅前に残る昭和横丁「のんべい横丁」では意外にも、スムーズ過ぎるベテランママたちとの出会いがあったという――。

※本稿は、フリート横田『横丁の戦後史』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

あまりにもスムーズなベテランママたちとの出会い

(前略)

ところで渋谷で飲んで、ママや昔からの常連たちの聞き取りをしていた私が、突然目黒にハシゴして、「のんべい横丁」の昔話をドンピシャで聞くことができたのか。

「昔横丁にいたママが、渋谷を出て目黒川沿いで店をやってるので紹介しますよ。まあ僕も行きますから一緒に行ってみましょうか」

と、どこの馬の骨か分からない私とともに電車に乗って、ママたちを紹介して、一緒に酒まで飲んでくれた人に今回出会えたからだ。往時を知る常連客のもとへもつないでいただいた。戦後すぐに生まれた横丁なのに、現役の営業者に聞き回っても古い時代のことは知らず、聞けば高度成長期どころか平成に入った頃創業の店、というケースは時々ある。それだって十分に凄いことなのだが。平成元年創業でもすでに30年以上の歴史となる。それが、この「広報」の方は、横丁の人々だけでなく去った人にまでつないでくれた。

渋谷のんべい横丁「広報」の仕事

渋谷のんべい横丁の広報・御厨みくりや浩一郎さんだ。ライブエンターテイメントの企画・制作をする会社を経営しながら、自身でも横丁内の小さな店のカウンターに立つ。

それにしても戦後以来の横丁に広報担当とは。横丁の持つ昭和テイストというコンテンツを外部へ向けて発信していく方かな? と最初は思ったけれど、どうも違う。

「電球換えてくれたり、大根買ってきてくれたりね」

長年横丁で商売する小料理屋「串木乃」のママはこう言う。私が話を聞きに行った日は、別の高齢ママの代わりに振り込み処理をしに銀行まで出かけ戻ってきたところだった。広報活動だけでなく高齢になった女将さんたちのサポートも日々しているようだ。だが世話焼きさん、ともちょっと違う。彼と横丁の店々をハシゴしながら話すうち、私には響いてくるものがあった。

「めんどくさい、と思うこともありますよ(笑)。でもめんどくささと安心って同居してますよね。それに、高齢とは言っても、婆ちゃんたちは『ここまでなら頼んでいいかな』とちゃんと分かっているんです。あの人たちは自分の足で立っていますから」

「串木乃」の店内とカウンターに立つママ
出所=『横丁の戦後史』
「串木乃」の店内。10人は座れない。この狭さにはまりこんで飲むのがいい。