“御用メディア”に任せてはいられない

「対テロ作戦」の名目でトルコ軍が市民を無差別に攻撃している事実が、ジズレの外に知られることはあってはならなかった。だから記者は、政府や軍にとっては邪魔な存在だった。

レフィックが詰めていた市役所はトルコ軍の攻撃対象地域ではなかったが、外に出る時は警察官や兵士に見つからないよう、逃げるように走ったり隠れたりしなければならなかった。見つかれば逮捕されることは明白だった。

政府系メディアやトルコで名の通った大手メディアの記者たちが時折、トルコ軍と共にやって来た。ヘルメットをかぶり防弾チョッキを着て、装甲車に乗っている。

兵士が連れて行く場所では交戦が演出され、それを取材し、彼らは帰って行く。そんなシーンをレフィックは何度も目撃した。

銃声に常時さらされ、スナイパーに無慈悲に殺害される人々を取材してるレフィックには、報道倫理を逸脱し良心を失っているとしか映らなかった。

カメラを手に持つ戦場ジャーナリストの男性
写真=iStock.com/South_agency
※写真はイメージです

「政府の望む戦争の叫びを、政府の支援を得ながら報じていた。トルコ軍や警察の側から取材するなら、市民の側からも取材するべきじゃないのか。兵士が撃っている弾丸は誰に命中しているのか。死んでいるのは政府が言うようにテロリストなのかどうなのか。実際に起きていることを市民は知る権利があるはずだ」

「外出した夫が帰ってこない」

それに現場にいるレフィックには、国際メディアの関心も薄いように感じられた。クルド人の居住区で市民が銃撃され死亡する事態に、外国人記者は新しさを見出せないのかもしれなかった。

外出禁止が始まって1カ月以上が過ぎた。

ジュディ地区周辺に残っている女性から、外出した夫が帰ってこない、とファイサルに相談があったことで、女性の自宅近くの通りに数体の遺体が放置されていることが分かった。

ファイサルは市役所に来ていた市民らと共に遺体を引き取りに向かい、レフィックとサーデット記者、それにジズレ在住の新聞記者が同行取材をすることになった。

ジュディ地区は国軍や治安部隊が重点的に攻撃しており危険性が高い。レフィックに恐怖感はあったが、国会議員のファイサルがいれば銃撃されることはないと、自分に言い聞かせた。

「白旗を掲げて遺体回収に向かう。銃撃しないで欲しい」

ファイサルが、警察に電話で伝えるのをレフィックも聞いた。2016年1月20日。午前10時頃、ファイサルと副市長を含めた30人ほどの一行は荷車と共に市役所を出発した。

レフィックのビデオカメラは白旗を掲げ先頭を歩く年配の女性を捉えている。ヌサイビン大通りを渡りジュディ地区に到着し、その一角で男性3人の遺体を見つけるまでは小一時間ほどだった。

3人は、いずれもスナイパーに射殺され、付近には負傷した人たちもいた。レフィックのビデオカメラは激しく攻撃されている地区の姿を映している。