結局、6月初めに手術を受けたのは東京近郊にある私立の総合病院だった。しかし、食道がんのエキスパートの医師がいるわけではなかった。逆に担当した外科医からは「なんでウチに来たの」と聞かれる始末。「まさか親族会議で最後に方角を占って決めましたなんていえませんよね。これまで親族の紹介で10人近い占い師や祈祷師が来ました。物心両面で助けてもらっている点には感謝しているのですが」と雅子さんはため息をつく。

それから坂田さんのいのちのクルマは“いばらの道”を走り続けた。手術後、肺に水がたまった。管を通すと、血の混じった水が1.5リットルも噴き出した。自宅に戻っても食道の通りが悪く、食事はおろか、薬の錠剤も通らない。水を飲むのがやっとだった。口から内視鏡を入れ、バルーンを膨らませて食道を広げる処置を、入退院を繰り返しながら何度も行った。

最初の手術から8年目の2006年9月に「ステント」と呼ばれる金属製の網目のチューブを内視鏡を使って入れる治療を勧められる。しかし、食道に穴が開いて化膿してしまった。「どうしてこんなことに」と絶句する雅子さんに、担当医から納得のいく説明はなかった。

その後の治療といっても抗生物質の投与だけ。そして年明け早々に担当医から「国立がんセンターに知り合いの食道がん専門の先生がいて紹介します」と告げられた。「それなら、なぜもっと早くいってくれなかったのか……」と思う坂田さん夫妻だったが、もはや口にする気力などなかった。

国立がんセンターで13時間に及ぶ再手術を終えた坂田さんの現在の楽しみは、植木の手入れをしたり、3歳になる孫娘と遊ぶことだ。「最初から国立がんセンターに行っていれば」との思いはいまでも残っている。「専門医がいて設備の整った病院を選ぶべきです。それも自分の判断で」と坂田さん夫妻は口を揃えて語る。

(南雲一男=撮影)