翌朝は芸人キャスターからの同情論も……

しかし、芸能マスコミ側のあの会見の捉え方はTwitterの論調とは全く異なったものとなった。

「肝心の疑問には答えなかった」
「なぜ今会見をしたのか、疑問が残る」
「テレビの収録に参加したのかどうか明らかにしなかった」
「これでは業界内は納得しないだろう」
「会見する前に番組収録に参加したのなら順序がおかしいのではないか」
「このままではテレビへの復帰は難しいのではないか」

スポーツ新聞やワイドショーのVTRはどれもこうした論調だ。渡部さんに対してはネットの雰囲気より明らかに厳しいのではないだろうか。

ただし、会見翌朝のワイドショーは各局、「渡部さんに批判的なVTR」を流したが、それに対するコメンテーターの反応は渡部さんに同情的という不思議な状態になった。

ライブイベント放送でのビデオカメラ側からの視点
写真=iStock.com/coffeekai
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何せ各局ともほぼメインキャスターやコメンテーターとしてスタジオにいるのは、渡部さんと同じ芸人たちが多いわけだが、彼らの目にも「100分間のフルボッコ会見」は異様に映ったということなのだろう。中には会見の場にいた芸能レポーターを前に「あなたがいる前でこんなことを言うのも何だが、芸能レポーターたちはおかしかった」とはっきりレポーターたちの質問の仕方を非難するキャスターもいた。

つまり、「これでは業界内部も納得しないだろう」と報じたワイドショーつまり芸能マスコミに対し、その業界内部のまさに当事者である芸人たちがワイドショーのキャスターとして「芸能マスコミがむしろおかしい」と真っ向から批判するという、言ってみれば「内紛状態」のような事態が起こったと言えるのではないか。これはある意味、芸能人のスキャンダルに対する芸能マスコミの姿勢に辟易した芸能人たちが、「もういい加減にしてほしい」と心の叫びをついに口にしたと捉えるべきではないかと私は思う。

芸能マスコミに大義名分は存在するのか

では芸人キャスターたちは何に対して不満の声をあげたのか。それは何かスキャンダルを起こしてしまった芸能人たちに対してテレビが復帰のために掲げる条件と、それについての芸能マスコミのあり方に対してなのではないか。

そもそも不倫などの場合には、本来であれば夫婦間および関係者の問題であり、極めてプライベートな内容で、謝罪すべきは配偶者をはじめとする家族および関係者に限られても良いはずなのに、芸能マスコミがそれを記事にして世間一般に広く暴露することによって問題が大ごとになっているという事情が前提としてある。

人にはプライバシーがあり、それは本来守られてしかるべきだ。しかし、メディアはそれが「公人に関わるもので、社会的に影響がある出来事」に関してはそのプライバシーを暴いてきた。例えば政治家のプライベートな行為が倫理に反する場合などは、もちろん国民に知らせる必要があるだろう。「そんなことをする人なら政治家に選ばなかった」ということがあるからだ。