エンロンにまつわる数々の疑念

チェイノスはただちに(2000年11月から)エンロン株のカラ売りを始めた。

チェイノスはまた、エンロンの「10K」や「10Q」にある「関係会社取引(related party transaction)」に関する記述が非常に曖昧であることにも疑いを持った。それらの記述を何度読んでも理解できなかったが、少なくとも、それら「関係会社」がエンロンと様々な取引をしているにもかかわらず、同社幹部によって運営されているらしいことはわかった。すなわち、利益相反行為があるということだ。エンロンの破綻後、それら「関係会社」は、CFO(最高財務責任者)のアンドリュー・ファストウが出資し、エンロンの債務や損失を飛ばしていた無数のSPE(特別目的会社)だったことが明らかになる(ファストウは、一連の取引で、個人的に約3000万ドルを懐に入れるという出鱈目もやっていた)。

また、エンロンの経営陣が、大量の自社株を売っていたことにも、チェイノスは注目した。経営陣の自社株売りは、証券取引法によって開示が義務付けられており、「フォーム3」や「フォーム144」といった書類をSECに提出しなくてはならない。これらもインターネットで入手できる。ちなみに、幹部の自社株売買を模倣して投資ポートフォリオを構築する米国の「ヴィッカーズ・インサイダー・ウィークリー」という情報会社の投資指標は、1986年から2003年の間に、1353%という高い利回りを挙げている。

2000年の終わり頃、エンロンはブロードバンド回線のトレーディングに進出すると発表した。会長兼CEOのケネス・レイやCOOのジェフリー・スキリングは「ブロードバンド事業だけで、20~30ドルの株価上乗せ効果がある」とブチ上げ、投資銀行のアナリストたちも彼らの戦略を褒めそやした。チェイノスは、これを見て、ますます疑念を深めた。なぜなら、その時点で、ブロードバンド回線は供給過剰状態で、チェイノスは、関連銘柄をカラ売りするところだったからだ。この頃、エンロンの株価は、依然として75~85ドルの高値圏にあった。

(尾関裕士=撮影)