だったらと、東南アジア以外の労働力に頼る手はあるだろう。実際、現在でもネパール人が現地では社会問題化するほど日本に来ている。両親が出稼ぎに行ってしまったために、住人のほとんどが子供と老人だけになった村もあるそうだ。

それ以外で可能性があるのは、バングラデシュ、パキスタン、イラン、アフガニスタンやインドの一部くらいだろう。アフリカも候補だが、日本は遠いため、多くはヨーロッパへ向かうに違いない。

若い労働力を介護職にばかり入れるわけにもいかない

しかし、そうした地域も経済発展するにつれ、日本で働くことの魅力は次第に失われるだろうし、日本がどこまで移民を受け入れるかも判然としない。

結果、介護従事者が足りなければ、利用者も介護する側も劣悪な環境に身を置かざるを得なくなる。

では、日本の若者の多くが介護職に従事したらどうなるか。

本来、IT産業とか自動車産業とか、外貨を稼げるような仕事に労働力を割くべきところ、介護職ばかりに人を送り込んだら日本経済は立ち行かなくなるだろう。

また、介護職が増えれば、当然、保育士などの確保は今よりも難しくなる。看護師だって足りなくなるだろう。今回のコロナでも露呈した看護師の労働環境・待遇問題はより深刻化し、改善しない限り人材を確保するのはどんどん難しくなる。

尊厳死・安楽死の線引きをどう決めるのか

結局、既に述べたように、人件費は上昇し続け、医療・介護制度は破綻しないまでも、逼迫することになるだろう。

そうした状況で議論の対象になるのが、尊厳死や安楽死だ。ただし、その議論は簡単ではない。どうやって線引きすればいいかわからないからだ。

重症度なのか、年齢なのか、手間暇なのか、医療費なのか、答えは簡単には見つからない。

様々な病気の患者について、医療費がかかるからとか、手間暇がかかるからとか、治る見込みが薄いからといって切り捨てることができるのかという話だ。80代、90代なら寿命という諦め方もできるが、とくに若い方に対して、命の線引きなどできるわけがない。