将棋に対するまっすぐさ──将棋が好きだから高い集中力を持続させられ、まっすぐに勝とうとし、そして負けると猛烈に悔しがる。幼い頃の藤井二冠は負けると目の前の将棋盤をかかえて号泣したのは有名な話だ。この熱中できるスイッチは誰しもあり、親子関係であれば子供がこのような循環になれるものを親が見つけてあげることではないかと、杉本は語る。

そしてビジネスでは、「負けた際の“振り返り”が必要になる」と指摘するのだった。売れなかったものがあればなぜなのか、勉学では芳しくない模試の成績であればどうして点がとれなかったのか。将棋には投了後に「感想戦」といって、一局をビデオテープのように巻き戻し、勝者と敗者がともに「最善手」を振り返る時間がある。

「泣く」というのが切り替える儀式だった

対局を終えた後には何かしら「リセット」する儀式が必要です。小学校低学年頃までの彼(藤井二冠)にとって「泣く」というのが切り替える儀式だったんでしょうね。思いっきり悔しがって泣いて発散することが、前の対局を終わらせて次の対局に向かうために必要なことだったのだと思います。

ですがそれは「気にせずに次にいこう」ということとは違います。なぜ負けてしまったのか、「結論を出す」必要がある。そのために感想戦があり、私たちは実際に指した将棋よりその時間のほうが長いこともしばしばです。

こじつけでもいいと思います。自分の中で「これが敗因だった」「この点が悪くてミスをした」→「だから次はやらない」という結論が出せればいい。

なぜかというと、いい結果のときには自分の力が発揮できたケースもありますが、“幸運”もある。しかし悪い結果には必ず理由があるので、次につなげるために自分の中での結論が必要なのです。とことん敗因を考え、結論を出せると、自然に切り替えられる。

将棋というのは自主性が大事で丸暗記して上達するわけではありません。自分でつかみとらなければいけない。

師弟関係にはお金が介在しないという話と共通しますが、お金を払えば“教わる”という受け身の姿勢が生まれてしまいます。それでは「プロ棋士」としての成長につながりにくい。受け身で情報を仕入れるのではなく、自分がどう消化し、自分の中でどう活用していくか。ですから私は弟子たちに「自分だったらこうするかな」という程度の話をすることはありますが、最善は自分で決めること、と伝えています。