修士論文を英語で書く
【三宅】修士論文も英語で書かれたんですか?
【高嶋】大学院で必要な単位は最初の1年間でとって、残りの1年は通産省(現・経済産業省)の電子技術総合研究所(現・国立研究開発法人産業技術総合研究所)で実験の手伝いをしながら修士論文を書きました。
【三宅】どんな実験ですか?
【高嶋】核融合です。「地上に太陽をつくろう」という壮大な夢に惹かれて、僕の関心もロケットから核融合に移っていました。研究所にいる人たちは世界の一線の研究者ばかりで、学生の僕はずいぶん面倒を見てもらいました。修士論文を書くときに「日本語で書いても意味がない。英語で書きなさい」と言われたんです。僕は「できるかな」と思ったんですが、彼らが寄ってたかって指導してくれたおかげで、英語で書き上げることができました。その研究室はすごく刺激的で、僕も「世界に通用する研究者になろう」と強く思いましたね。
原子力研究所から“若気の至り”でUCLAヘ
【三宅】大学院を卒業後、日本原子力研究所(現・国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)に入られて研究員になられますが、3年で退所されアメリカに留学されています。
【高嶋】修士課程を出て、入所までひと月ありました。その間にアメリカに行ったんです。「サンフランシスコで解散して、ひと月後にロサンゼルスに集合」という大学生協が企画したフリープランの旅行です。バスでアメリカ大陸を横断しました。シカゴで世界初の原子炉を見て、メリーランドでは研究室の先輩が留学している大学を見学しました。「これは絶対にアメリカに来なきゃダメだ」と思いました。若気の至りと言うんでしょうね。日本に帰って、原子力研究所に就職しましたが、入所初日から遅刻をしてしまいました(笑)。
【三宅】超大型新人ですね(笑)。UCLAに留学というと、かなり大変では?
【高嶋】大学院で修士論文を英語で書いていたことが役立ちました。あと原研時代に書いた論文がアメリカの機械学会誌に掲載されたこともあって、それをUCLAの教授に送ったら入学OKが出ました。上司には休職を勧められましたが、「今度帰ってくるときはみなさんの前で講演します」みたいな大きなことを言って、退職しました。でもずっと後になって、本当に原研で講演をしたんですよ。「科学とモーツアルト」という自分でもよくわからないテーマですが。