任命拒否騒動で、一気に学術会議の知名度が上った

菅首相があえてこの6名の任命を拒否した理由——それは、彼・彼女たちの任命を拒否することが、ほかのだれかを拒否することよりも、社会的にはるかに大きな「反応」を引き出すことができると確信していたからだ。

6人の任命を拒否したことが明るみに出たことで、マスメディア以外にもさまざまな領域から、菅首相の意思決定を非難する声が一斉に聞こえはじめた。すでに100近い学会からは抗議の声明が発表されているし、菅首相の母校である法政大学からも抗議声明が出された。自身も経済学者である静岡県の川勝平太知事が、きわめて厳しい論調で菅首相を非難したことは記憶に新しい。

「菅義偉という人物の教養のレベルが図らずも露見したということではないか。菅義偉さんは秋田に生まれ、小学校中学校高校を出られて、東京に行って働いて、勉強せんといかんと言うことで(大学に)通われて、学位を取られた。その後、政治の道に入っていかれて。しかも時間を無駄にしないように、なるべく有権者と多くお目にかかっておられると。言い換えると、学問された人ではないですね。単位を取るために大学を出られたんだと思います」
静岡朝日テレビLOOK『学者の静岡県知事、菅総理を痛烈に批判「教養レベルが露見した」 日本学術会議問題で』(2020年10月8日)より引用

だが、こうした「反応」こそ、菅首相が期待したとおりの結果だったのかもしれない。

一般大衆には、この騒動が起きる前までは「日本学術会議」の知名度はほとんどなかったに等しい。今回の任命拒否によって多くの界隈からの「反応」が喚起されたおかげでマスメディアに取り上げられ、世間的な知名度が一気に上昇した。同時に「まともに学問をしたことのないような人間には、学問の価値はわからない(のだから口を挟むな)」という、知的エリート層の本音をどうにかして引き出すという狙いも菅首相にはあっただろう。

図書館の机の上に、開いて置かれた書籍とノートパソコン
写真=iStock.com/Chinnapong
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菅首相は「エリートの反応」を利用するつもりではないか

その意味においては、川勝知事のような言明は、菅首相にとっては願ってもないものだった。知事の発言はあくまで菅首相に向けられた非難ではあったものの、その言明の射程圏内には多くの一般大衆が含まれており、少なからず違和感や批判の声が挙がっていた。

川勝知事の会見から2日後の10月9日正午までに、約100件の意見が県に寄せられ、その多くが知事の言動を問題視するものだったと報じられている(テレビ静岡『「菅総理の教養レベルが露見した」静岡・川勝知事発言に批判の声相次ぐ 学術会議巡り』2020年10月9日)。学問の価値は学問を十分に収めた人でなければわからない——という指摘はまったく的外れではなく、もっともな側面もある。だが、もっともな事実であることと、そのようなあけすけな物言いが大衆的な支持や共感を得られない(むしろ反感を買う)ことは両立する。川勝知事をはじめ、菅首相に厳しい声を寄せる人びとは、アカデミアの援護射撃をしたつもりかもしれないが、しかし実際には菅首相によってまんまと利用されてしまったように見える。

菅首相はこのようなエリートたちの「反応」を次のステップへの足掛かりとして利用するつもりだったのではないだろうか。あえて乱暴に表現すれば、菅首相による「釣り」ではないか——と。私は当初からこうした疑念を持っていた。現在の動向を見るかぎり、どうやらそれは私の勝手な思い込みというわけではないようだ。というのも、すでに菅政権からは私の疑念を裏付けるような「次の一手」が示されつつあるからだ。