「保守」と呼ばれる人たちは、天皇陛下の譲位に対し、盛んに反対した。その発言にはあまりの非礼で無知なものも散見された。憲政史家の倉山満氏は「皇室と国民の絆を守るためにどうすればいいか、それを考えるのが本来の保守であるはずだ」という――。

※本稿は、倉山満『保守とネトウヨの近現代史』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

東京の正月初日に皇居前の広場にあるバルコニーの下の群衆
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平成の「玉音放送」に、「保守」「ネトウヨ」はどう反応したのか

平成28(2016)年7月13日、NHK総合テレビの『NHKニュース7』で、天皇が「生前退位」の意向を示していることが宮内庁関係者への取材でわかった、とのスクープが流れた。

そして8月8日、ビデオメッセージとして「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」が発せられた。名前は「ビデオメッセージ」と横文字で軽いが、事実上の「玉音放送」である。

要約すれば、「自分は体力の続く限り天皇としての務めを果たすつもりだが、このような形を今後も続けていくことが良いかどうか、皆で話しあってほしい」となる。一言も「譲位」とはおっしゃらなかったが、社会に責任を持つ立場の専門家ならば何を言わんとするか一目瞭然だった。

最初に拝聴した時、不肖倉山は「皇室と国民の絆を守るために、どうすれば良いかを考えてほしい」と受け止めた。

「皇室と国民の絆」とは、戦前日本の言葉では「国体」である。戦前最高の憲法学者であった佐々木惣一京都帝国大学教授は、「国体とは皇室と国民の絆である」と弟子たちに伝えていた。

この精神こそが、「 」がつかない日本本来の保守である。

いかに無学文盲な「保守」「ネトウヨ」の言論人であろうとも、この程度の理屈はわかるはずだろう、と油断した私が甘かった。