「ネトウヨ」はどのようにして生まれたのか。憲政史家の倉山満氏は「ソ連が健在だった時代には『保守』は反撃の手段が無きに等しかった。しかし、インターネットの普及とともに武器を得た。そこに民主党政権の失態という“神風”が吹いた」という――。
※本稿は、倉山満『保守とネトウヨの近現代史』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
「ネットでウヨクっぽい言動を撒き散らす輩」
「保守」が期待をかけた第1次安倍政権は、1年であっさりと退陣に追い込まれた。最後は多くの「保守」言論人が、安倍政権に批判的となった。
政権は1年で交代し、福田康夫内閣を経て麻生太郎が総理の座に就く。麻生は、リーマンショックの不手際や、「踏襲」のような初歩的な漢字の読み間違えやカップラーメンの値段を「400円」と頓珍漢な金額を答えるなどの醜態が祟り、マスコミの好餌となった。
こうした中、「保守」の一部が「俺たちの麻生」と麻生擁護の論陣を張る。すなわち、「麻生内閣は、麻生首相が愛国者だったからこそマスコミの偏向報道により潰されたのであり、ネットで真実を知った草の根の我々が応援しなければならない」との主張である。
マスコミは嘘つきであり、敵である。敵であるマスコミが麻生を叩いた。ということは、麻生は我々の味方である。こうした意見はインターネットで急速に拡散されていく。
こうした論理を主張する人々は、いつしか蔑みを込めて「ネトウヨ」と呼ばれた。「インターネットでウヨクっぽい言動を撒き散らす輩」の略称である。