「この成績では無理だろう」というレベルだった

だが、裏口もすんなりいったわけではなかった。日大関係者がこう話す。

「この成績では無理だろうというレベルでしたね。太田の父親とも何度か打ち合わせの席を持ちましたが、“息子、バカなんです”と繰り返していてね」

すこしゲタを履かせる程度では入学できない。そこで、日大の現役教員が太田を缶詰にして直接指導する臨戦態勢をとったという。それも1次試験の前日あたりにやったというのだ。当然、当日の試験問題と同じものをやらせたのだろう。

それでも2次試験の後、不合格の判定が下されてしまう。

「ゲタの履かせようがなかったんです。(中略)学科試験は太田の場合、英語と国語なんですが、英語はもう限りなくゼロ点に近くって。答案用紙を逆にして書いたのかなぁと疑うほどでして」(同)

当時の日大総長も参加して「これは却下しよう」となった。だが、入学式の前日か数日前に状況は大逆転したそうだ。ネットワークからの圧力があったのだろうか。

結局、太田1人を合格させると露骨過ぎるという理由で、補欠合格として他に5~6人入れることが決まったという。

その対価に父親は日大サイドに800万円を払ったそうだ。84年のことだそうだから、当時の大卒の初任給は13万5800円(厚労省の賃金構造基本統計調査より)。年収の約5年分である。

だが、太田は、それほど父親が苦労して入れてくれた日芸演劇学科を中退してしまうのであるが。

入学テスト
写真=iStock.com/Chinnapong
※写真はイメージです

証人の宣誓で「伊勢谷友介です」

太田はこの記事に激怒した本音は、ここにあるようだ。

「俺ホントにあの日から、周りの人たちが俺のことを見る目が、すごい何かちょっと下に見てる感じがするんだよ!」

オレの名誉を棄損した新潮をひねりつぶしてやる。東京地裁に向かう車内の太田の目には怒りが迸っていた。

スポーツ紙は「初出廷で爆問太田劇場」(スポーツ報知)、「異例の爆笑法廷」(サンケイスポーツ)、「初出廷爆怒太田」(スポーツニッポン)、「爆問太田裁判でもボケた」(日刊スポーツ)と、太田のお笑いパフォーマンスを取り上げている。

まず、証人としての宣誓で、「良心に従って真実を述べることを誓います」といった後に小さく「伊勢谷友介です」

新潮側が、日芸を不合格になっていたことは、高校の卒業アルバムの進路欄に、合格していた横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)と書いたことでも明らかとしていることには、「滑り止めといったら失礼ですけど、バカでも入れる。そこに行ったのがウッチャンナンチャンなんですけど……出川(哲朗)さんも」