「マニフェストのバージョンを上げ、事後検証だけでなく、今度は立案、作成まで具体的に国民各界各層の声を聞いてつくるという運動を始めないと、この国の政治が危ない。それで結成した」

メンバーはどうやって選定したのか。

「全部を募集したわけではない。数人でやっていこうというとき、東国原さんはいろいろ議論があったけど、知名度も高いので、発起人に入ってもらった。彼によって人気が上がったことは事実で、運動だからそういう点はある」

政党や政界再編との関係は。

「マニフェストは政党政治が基本だから脱無党派・親政党だ。そういう意味では新党結成はあり得る。だけど、『せんたく』だけで独自にということはない。増殖運動が起こって、新しい民主主義を創造していくことにはミッションで動く。それを止めるわけにはいかない」

「せんたく」発起人の一人で幹事の曽根泰教慶大教授が補足して解説する。

「東国原知事は広告塔の役割で入った。『せんたく』で記者会見をやると、彼に質問が集中する。東国原知事は、新党とか政界再編とは関係ないなら、『せんたく』をつくる意味があるのか、と絶えず言う。だが、そこまでは言わないというのが北川さんの姿勢だし、規約にも書いてある。『せんたく』に参加する者の思惑には相当幅がある」

どうやら知事としてでなく、将来の国政進出の布石と考えて広告塔の役割を引き受けたと見て間違いなさそうだ。

「私は10年以内に総理大臣になる」

就任後、東国原のこの言葉を直接、耳にしたという宮崎県の関係者は1人や2人にとどまらない。だとすれば、転出の時期は次期総選挙か1期目の満了後なのか。総選挙なら、宮崎のどの選挙区から何党で出るのか。話題は独り歩きし、人々の興味は広がる一方である。(文中敬称略)

(増田安寿、芥川 仁=写真)