角田光代

1967年、神奈川県生まれ。90年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、06年『ロック母』で川端康成文学賞、07年『8日目の蝉』で中央公論文芸賞を受賞するなど受賞歴多数。肉食偏愛の旅好きとしてもつとに有名で、食や旅にまつわるエッセイも多数執筆している。近著に家族の意味を問いかける長編『ひそやかな花園』、イラストレーターの松尾たいことコラボレートした連作短編小説『なくしたものたちの国』。


 

肉と脂と酒を心の底から愛しています。見てください、「よろにく」のお肉。脂身がきれ~い。若いころは好き嫌いが多く、野菜や魚はほとんど食べませんでした。小食なので、この貴重な胃袋のスペースに、肉以外はレタス一切れも入れちゃなるめえ(笑)と、焼き肉屋でも、肉以外に注文するのはキムチくらい。かなり偏食でした。

そんな食生活に革命を起こしたのは32歳のとき。当時好きだった人は、きのこ好きの肉嫌い。私と正反対の好みだったんです。この人と一緒に食事をするために好き嫌いを克服しよう。そう思って練習に取り組みました。嫌いなものを、いろんな料理で繰り返し食べてみたんです。そうすると慣れてきて、ある料理でおいしいと感じる。それ以来好きな食べものが増えました。でもその人、結局付き合ってくれなかったんですよ。まあ、そういうものですよね(笑)。

30代半ば頃から、おいしいものが食べたいと、食べることに興味を持ち始めました。いまは自分なりによし悪しの基準ができたと思います。

食に興味を持つことで、小説の書き方が変わったし、書く幅も広がりました。たとえば登場人物がお昼ご飯を食べ損ねたとして、引き出しの奥に入っていた湿気ったスナック菓子で済ませられるのか、それとも、そんな食事は絶対に嫌なのか。それだけで両者の間では、何かが決定的に違うわけです。食べることをどう捉えているのか。人物を描くとき、食べることと人生観を注意深く書き分けています。また、登場人物が食べたり、つくる料理も、その人の年齢や職業、人柄、相手との関係性などによって、きちんと理由づけをしたうえで書けるようになりました。

とはいえ私自身は、それほど食への執着が強いとは思っていません。たとえば食に執着するあまり、たった一皿まずいものに当たっただけで席を立ったり、オーガニックやマクロビオティック(玄米菜食)に走りすぎて、少しの添加物も許せなかったり。反対に食への関心が薄いあまり、食事をスナック菓子に置き換えたり、極端な例ですが、サプリメントを20粒も30粒も飲んでカップ麺を食べていたり。そういう両極端に振れた食には、生きることを放棄しているような病的な恐怖を感じます。どちらも自分とはまったく違うので、それが非常に怖いんです。

こういった食を平成的とするなら、私は食事をお菓子では代用できない。おいしいものを食べたいけれど、まずいものに当たっても、それはしようがない。食事の時間にちゃんと食事ができればいいという、本当に中庸な昭和的な食を継承しています。

私にとって食べることは純粋に人生の喜びであり楽しみ。朝から、今日は何を食べようかと考えては、それを励みに仕事をしています。