しりあがり寿
1958年、静岡県生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業。81年、キリンビールに入社し、パッケージデザイン、マーケティング等を担当。在職中から斬新なギャグマンガを発表して、94年に独立。2001年には『弥次喜多in DEEP』で手塚治虫文化賞マンガ優秀賞を受賞。02年からは朝日新聞夕刊に4コマ漫画「地球防衛家のヒトビト」を連載。近年ではエッセイ、映像、ゲーム、アートなど多方面で活躍する。神戸芸術工科大学教授。
同じ飲むでも、みんなでワーッと騒ぐのと、ひとりでしんみりするのって別なものですよね。
僕は以前、ビール会社でサラリーマンをしていたんです。で、ある商品の企画会議で「新しい飲食店のあり方」というテーマが出て。そこで盛り上がった理想の店は踊ったり歌ったり、もうなんでもあり。柱からもお酒が出てくるような桃源郷(笑)。大勢で繰り出すのには最高だけど、もちろん実現しませんでした。
「富士屋本店」はその桃源郷にかなり近い店で、初めて行ったときは、巨大な銭湯みたいでびっくりしました。働いてる人もスピーディーでかっこいいんですよね。
ひとりで飲むときは基本的に同じ店には通わないようにしています。次から次へと新しいところへ行くのが好きで、ほら、もったいないじゃないですか。まだ知らぬ最高の一軒がどこかにあるかもしれないって思うと。だから「ふらて」は例外的な存在。新宿にありながらゴールデン街ほどコワくもないし、吉祥寺のような中央線的な文化の薫りがして塩梅がいいんです。それにママが優しくて甘えられるというか、例えばお店が終わる2時くらいまで飲んでいると追い出されますが、それが子どものときに、夜遅くまで遊んでいて叱られるのと似た感じがして、なんか心地いいんですよ。
思えば、スポーツでも遊びでもなんでも、楽しいことってすべて我を忘れるってことですよね。これって人は生まれた瞬間に世界からちぎられる存在だからだと思うんです。お母さんの体からってことだけでなくてね。そして、もう一度世界と一緒になりたい、同一性を回復したいと望みながら生きていく。人に愛されること、仕事で成功すること、お酒を飲むこと、すべてその代償行為かもしれませんね。
40~50代ってなにかと大変ですよね。安定成長の時代だったら、この年齢になれば人生設計が固まっただろうけど、今は先のことはさっぱりわからない。それに、何年も仕事をしてきてどっと疲れが出るのもこの時期で、僕に限らず、会社でかなり偉くなった元同僚ですら「休みたい」って。でも、現実問題として休むわけにはいかない。じゃあ、どうすればいいかって、お酒の力でも借りてお茶を濁していくしかないかなって思うんです。ぞんざいな存在として生きていく。これは決して悪いことではなくて、すごく大切なことだって最近つくづく思います。