アントニオ猪木

1943年、神奈川県生まれ。14歳で家族とブラジルへ移住し、17歳で力道山にスカウトされて帰国する。その後、日本プロレス、東京プロレスのリングを経て、72年に新日本プロレスを旗揚げ。ウィレム・ルスカ、モハメド・アリらと異種格闘技戦を行い、世界的な話題に。89年スポーツ平和党結成、史上初のプロレスラー出身参議院議員となる。98年プロレスラー引退。今年3月にはWWE(アメリカのプロレス団体)殿堂入り。ニューヨーク在住。今年でデビュー半世紀。「闘魂50周年」である。


 

元気ですかーッ!

元気があれば、なんでもできる。仕事のノルマも真夏の暑さも乗り越えられる。元気の素は食べること。みなさん、ダーッと食事を楽しもうじゃないか!

食べることは人生そのものだ。俺は旨いものをたくさん食べてきた。膵臓が頑張りすぎたせいか、30代の終わり頃に糖尿病を患ってね。今も闘病中だ。血糖値を上げないような食材、料理法がわかっているから、カロリー計算なんかしない。本能のおもむくままに食べる。インシュリンは打ってるけどね。

レスラーは大食して身体をつくる。質より量。でも俺は違ったな。力道山先生の付け人だったから、最高の相伴に与った。全国行く先々で超一流の食事を堪能できたんだ。一流の味の経験は決して忘れない。ありがたいことだったな。ただし歳をとると量の調整が要る。ところが世間は猪木の小食を許さない。俺の胃に、労働基準法は適用されないのか(笑)。一晩で3軒ハシゴするようなときは、豪快に食べているようで胃のスペースを3等分してるんだよ。

贅沢ばかりしてきたわけじゃない。昔、巡業先の旅館の夕食が川魚と野菜だけでね。他のレスラーはブーブー文句を言ってたけど、俺はもりもり食べた。十代のときのブラジル移民の経験が大きいんだ。よく食べたのは硬い干し肉にラードで炊いた豆入りご飯。当時はこれが美味しくて仕方なかった。労働で身体を使い切っていたからだろうね。メシに注文つけるようなヤツは、ブーブー言う前に身体を使い切れ、バカヤロー!

食べることは勝負だ。仲間とワインを飲もうとなれば、一晩で100万円くらい使う。高いワインを開けるのは勇気がいるから、一期一会の気合で店に入る。人との付き合いはそういう気合が大事だろ。現役時代にアンドレ・ザ・ジャイアントとワインを飲んだことがあった。俺は11本しか飲めなかったけど、あいつは37本飲んだ。とことん飲んで食べて、コノヤローと思って、そこから本音で付き合える。「話せばわかる」なんてキレイごとで、本気で飲み食いしないとダメだ!

旨い店に行くだけで闘魂が全身に漲るから、血糖値も安定するのかもしれないね。紹介した店のように、全国各地に元気の素がある。お陰で、俺は世界一元気な糖尿病患者となったんだ(笑)。