社会に出て間もないころ、「魂を売ってしまったら、この世で勝利することに意味はない」という言葉を聞いたことがあります。私は今、それは本当かもしれないと思っています。後世の歴史家は、私たちの時代を振り返って「彼らは新しいグローバル経済のなかで私的な富は手にしたが、家族やコミュニティや、さらには国さえも破壊してしまった」と言うのではないでしょうか。そこでお聞きしたい。勝利するとはどういうことだと思われますか。それは市場で得られるものを超えた何かを言うのではないでしょうか。(ダグ・フレット スコットランド、エジンバラ)
勝利するというのは、市場とは関係のないことです。少なくとも、市場と関係がある必要はない、と言えます。
勝利するとは、個人としてのあなたが目標を定め、それを達成することです。その目標は、幸福で健やかな家庭を築き、家族を養っていくことかもしれません。ホームレスのシェルターをつくったり、そうした施設に金銭的支援をしたりすることかもしれません。あるいは子どもに読み書きを教えることかもしれません。船で世界1周旅行をすることかもしれません。あるいはまた、グローバル市場で成功する、活力あふれる会社を築くことかもしれません。
勝利するとは、自分が選んだ目標に到達することです。それは必ずしも利益を手にすることではありません(利益を手にすることである場合もありますが)。勝利するとは、最も基本的なところでは、自分の人生を大切にすることです。有意義な前進をすることであり、自らが設定した目標を達成することです。
勝利することは、家族やコミュニティや国を破壊することではありません。新しいグローバル経済に参加している企業が勝利した場合でも、です。経済的成功は、もともと道徳的に堕落したものだと言わんばかりのあなたの主張は、完全に間違っています。
ビジネスはゼロサムゲームではありません。スポーツでは、一方のチームが勝ったら、もう一方は負けます。ところがビジネスでは、ある会社が勝ったときには、たいていそれに付随してたくさんの勝者が生まれます。
成功した企業の幹部や株主は、もちろん利益を得ます。しかし、その会社の社員や販売代理店や納入業者も利益を得るのです。1社の成功が何十社もの新しい企業――最初の企業に資材を納入したり、サービスを提供したりする企業――の誕生につながったこともあります。その実例は無数にありますが、マイクロソフトとアムジェンはとくに顕著な例でしょう。そのような会社がまったく新しい産業を生み出すこともあるのです。