40歳からが本番だったヘンリー・フォード

この道に入り、フォード工場を発展させはじめたときは40歳になっていた。しかし、それまでは自分はずっと準備されていたのだ。
(ロバート・レイシー著、小菅正夫訳『フォード』〈上〉新潮文庫)

自動車産業の歴史の中で最大の功績者の1人が、フォード・モーターを創業したヘンリー・フォードです。フォードは大量生産方式を確立し、鉄鋼や繊維、ガラス、ゴムなどの素材一つひとつに至るまで、源流にさかのぼって最善を追求しています。

しかし、それを上回る功績は、自動車を買う顧客を育てたことです。フォード以前、自動車は高価であり、ほんの一握りのお金持ちしか乗ることはできませんでした。フォードは「大衆のための車」を主張、大量生産によって価格を段階的に引き下げただけでなく、工場で働く労働者の賃金も引き上げることで、大勢のアメリカ人が車を買える環境を整えたのです。もしフォードがいなければ、自動車が一般市民のものになる日はもっと遅かったのではといわれるほど、その功績は大きなものがあります。

1863年ミシガン州生まれのフォードは16歳でデトロイトで働き始め、機械工場などを経て1891年にトーマス・エジソンが経営するエジソン照明会社にエンジニアとして入ります。ドイツのカール・ベンツがオート三輪を開発したのはその数年前のことです。自動車に魅せられたフォードも仕事の傍ら自動車の製作に取り組むようになり、1896年にペダル式4輪車を完成させ、エジソンからも「ぜひその研究を続けたまえ」と励まされています。

2度も事業に失敗しながら折れない心

その後、出資者を得てデトロイト自動車会社、ヘンリー・フォード・カンパニーを相次いで創業しますが、いずれも失敗します。理由はいろいろな説がありますが、一ついえるのは量産が難しかったことです。当時のフォードにはその準備ができていませんでした。

二つの会社を破綻させれば、たいていの人は次の挑戦を怖がるものですが、フォードの信条は「どんな経験もする価値がある」です。その信条通り、2度の挫折を経て1903年に設立した3度目の会社フォード・モーターではT型フォードの量産に成功、アメリカにモータリゼーションを起こしました。

手痛い失敗も含め、歩んだキャリアのすべてが成功への準備となるというのは、フォードの人生にもよく表れています。フォードのように、きつい時間を準備期間だととらえることができれば、逆境を乗り越える大きな力となるでしょう。