菅官房長官が公明党と太いパイプをこれまでもこれからも大切するワケ
菅長官は、公明党と太いパイプを持っています。護憲政党として安倍政権の改憲路線にもろ手を挙げて賛成するわけにはいかない公明党に対して理解を示してもいます。そんな菅長官に対して、公明党執行部も信頼を寄せています。
たとえば、自民党内には公明党との連立を解消すべきだと考える勢力もいます。彼らは、公明党と手を切り、代わりに改憲賛成の維新の会や国民民主党などの勢力と手を結ぼうと躍起になっています。
ところが、菅長官の考えは少々違うのです。
菅長官が衆議院議員に初当選したのは1996年のこと。ときあたかも、神道政治連盟、日本会議、あるいは創生「日本」が力を持ち始めていました。自公連立政権の誕生はその3年後でしたから、菅長官は連立実現に至った内情や関係者の血のにじむような努力を非常によく知っています。
菅長官は、連立解消はこれまでの努力を水泡に帰すような愚行だと考えているはずです。そんなことで改憲勢力の数合わせをしても、自主憲法制定の道が開かれるはずはないということでしょう。
おそらく安倍首相は、菅長官のこのような考えに理解を示し、自らの身を削って菅長官を守りました。そして、自分が首相の座を降りた後のことを託そうとしたのだと思います。だから、W選挙を見送ったのです。
安倍氏は首相を辞めた後もキングメーカーとして君臨する狙い
逆にいえば、それは安倍首相の強い意志でもあります。首相を辞めた後も、キングメーカーとして君臨し、新しい日本をつくっていくつもりなのです。もしそうなれば、安倍首相はこれから長い間、隠然たる影響力を行使する存在になることでしょう。