当時、立法院を占めていた外省人の勢力を削ぐために、「戸籍を台湾に変えてしまってはどうか」と私はアドバイスした。外省人は大陸に戸籍があって、それが台湾籍の本省人に対する優越感につながっていた。そこで台湾で生まれた人はすべて台湾籍にして、そのうえで民主的な選挙に持っていってはどうか、と提言したのだ。

しかし、李登輝氏は噛んで含むようにこう言った。「あのね先生、私は政治家です。政治家というのは難しい問題に手を出してしくじると終わり。この問題は難しすぎる。大陸籍を持っている人は皆、70~80代。あと10年もすれば誰もいなくなる。私は時が解決する問題はいじらない。今は選挙制度の民主化だけを考えてやっていく」

いろいろな人にアドバイスしたが、こんな言い方をした人は初めてだった。放っておいても起きることには手を突っ込まない。自分が努力すればできることに全力で取り組む。実際、戸籍問題で一歩間違えたら国民党から叩き出されたかもしれないし、本省人から総スカンを食った恐れもある。民主的な選挙を実現するために、細心の綱渡りが求められたのは確かだ。

台湾と中国の交流窓口機関が、1993年に「両岸会議」という会談をシンガポールで行った。李登輝氏はこの会談にどういう態度で臨むべきか、アドバイスを求めてきたので、「今は何らかの合意を迫るのではなく、中国と将来のビジョンを共有することが重要だ」と私は答えた。

私が提唱したビジョンは「コモンウェルス・オブ・チャイナ」、つまり中華連邦である。シンガポールや香港など、中華系の多い国や地域を集めて英連邦のような緩やかな連合体を形成する。連邦の盟主は北京で構わない。

このコンセプトに対して、李登輝氏は良いとも悪いとも言わず黙って聞いていた。しかし、両岸会議の台湾側代表である台湾工商協進会の辜振甫こしんぽ理事長に「大前先生の意見を聞いてから行ってくれ」と指示したという。私が滞在するホテルにやってきた辜振甫氏にも同じ説明をすると、「先生に話を聞きに行けということは、多分、総統は賛成しているんですよね」と彼は解釈して、両岸会議で「中華連邦」のビジョンを披露したらしい。

すぐにネタ元が割れて、後日、中国社会科学院という北京政府のシンクタンクから私の元に「詳しい話を聞かせろ」と問い合わせがきた。

台湾の民主化よりも大きな偉業

結局両岸会議で中国側の汪道涵おうどうかん元上海市長は、頑なに「中国政府が台湾を含めた全中国を代表する唯一の合法的政府である」と主張して「1つの中国」にこだわった。中国共産党の狭隘な思考では「中華連邦なんてとんでもない」ということで、大陸では「連邦」という言葉を禁止するお触れが出たほどだ。