今年4月、政府は新型コロナウイルス対策として、全世帯にマスク2枚を配布した。実は、政府が国費を投入してマスクを配布したのは初めてではない。約100年前のスペイン風邪流行時にも行っていたのだ。ノンフィクション作家の山岡淳一郎氏が解説する——。

※本稿は、山岡淳一郎『ドキュメント 感染症利権』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。

政府配布の布マスクをポストに投函する郵便局員=2020年5月12日、大阪市内
写真=時事通信フォト
政府配布の布マスクをポストに投函する郵便局員=2020年5月12日、大阪市内

大衆の誕生と「スペイン風邪」の襲来

1918(大正7)年、日本の人口は5600万人をこえ、労働者や農民、商人をひとくくりにした「大衆」が社会の中心にせり上がった。「米騒動」が大衆の時代の到来を告げる号砲だった。7月、米価の高騰に苦しむ富山の女性荷役(陸仲仕)が米の積み出し停止を求めたのを発端に、騒動は北陸から3府1道32県に広がる。商社や米問屋の打ちこわし、炭鉱の暴動へとエスカレートし、軍隊の出動が70カ所に及んだ。

指導層にとって、拳を振り上げ「人間らしく生きたい」と叫ぶ大衆は「火」のような存在であった。その熱量を上手く使えば権力を握れるが、使い方を間違えれば破滅に追い込まれる。従順な衣を脱ぎ捨てた大衆は時勢を動かした。もともと英語の「マス」を表す日本語はなかったのだが、仏教で多数の僧侶や宗徒をさす「大衆」があてられると、新語はモードとなる。大衆酒場に大衆運動、大衆文芸……そんな時代の移り目に史上最悪のインフルエンザ、「スペイン風邪」が襲いかかったのである。

まるで新型コロナウイルスの「予告編」だ

感染症とのたたかいは、政府が大衆に提供する情報で左右される新たな段階に入った。感染の制御が「情報戦」の色を濃くする。鍵を握るのは、政府に検閲されるメディア、新聞だった。結果的に第一次世界大戦下のスペイン風邪のパンデミックは、参戦国が情報統制したうえに治療法もなく、膨大な死者を出し、多くの教訓を残した。

日本の新聞を見ると、まるで21世紀の新型コロナウイルス感染の「予告編」みたいな記事が並んでいる。まず、1918年4月、台湾巡業中の大相撲力士3人がスペイン風邪で亡くなり、休場力士が続出した。10月ごろに毒性の強い欧州型ウイルスが入り、感染は急拡大。11月には、演劇の大衆化を導いた劇作家の島村抱月が発症し、48年の生涯を閉じる。パートナーで女優の松井須磨子は、支えを失い、2カ月後に自ら命を絶った。ファンは須磨子の「カチューシャの唄」のレコードを蓄音機にかけて追慕する。