国際航路の客船内で「感染爆発」が起きた
スペイン風邪は第一撃だけでは終わらず、第二、第三の波が押し寄せ、国際航路の客船でも感染爆発が起きた。
「わが労働代表を乗せたサイベリア丸にも周知のごとく多数の患者を出し、いたましい悲劇が演ぜられている。またこれが出迎えをなさんとする家族の人びとにも多数の患者あり。鎌田(永吉)代表一家のごときは枕を並べて病室に呻吟している」(東京日日新聞1920年2月13日付)。前年10月、ワシントンで開催されたILO(国際労働機関)の第一回国際労働会議に出席した日本代表が、サンフランシスコで東洋汽船のサイベリア丸に乗船し、ホノルル経由で横浜に帰航する途中、船内で感染が広がったのだ。
三等乗客700人中80名が発病し、8人が亡くなったと報じている。なかでもカリフォルニアに出稼ぎ中の家族の話が涙を誘う。過酷な労働で夫は肺結核にかかり、ひと足早く帰国した。病は癒えず、危篤の電報が妻に届く。妻は臨月の身重で三歳の長子の手を引いて船に乗り、夫の訃報が届く前に産気づき、船内で男児を産んだ。しかしインフルエンザにかかって、産褥に苦しみながら黄泉へ旅立つ。あとには二人の子どもだけが残された。
国費投入でマスク配布、装着を強制
政府は、市民に自衛を求め、ポスターで「うがい、マスク、人混みを避けよ」と促す。「警視庁ではいまや不眠不休の姿でこれが撲滅に腐心し、昨日は午後三時より内務省に会合して善後策を協議した。……印刷物その他の宣伝により極力市民の自衛を喚起し、なお最後の手段として国費をもって全市民にマスクを配布し、強制的にこれを実行せしむることに内定した」(出典前同。傍点筆者)。最後の手段が国費投入によるマスク配布と強制的な装着である。その傍ら「命のとりで」の大病院は「感冒患者を忌避」した。門前払いされた患者が行き倒れた話がつづられている。
「帝国大学附属医院をはじめ赤十字病院、泉橋病院(三井記念病院の前身)のごとき設備整える一流の病院は、こぞって『流感患者入るべからず』の掲壁を設け、入院はもとより外来患者に至るまでこれが診療を喜ばざる風がある。その口実は『流行性感冒は猛烈な伝染性を有しているので他の患者が迷惑する……』。昨日の正午、死に迫った一人の貧者が泉橋病院に担ぎ込まれたが彼はこの冷たき運命に慟哭しつつ門前で絶息した」(出典前同)