日本中が五輪景気に期待を寄せていたが…

新型コロナウイルスの蔓延を受けて、世の中はどう動いたか。時系列で整理するとだいたい次のようになる。

2020年1月。真夏に開かれる東京オリンピック・パラリンピックを前に国民は経済が活性化することに期待していた。

「景気はますます良くなって、自分たちの懐も潤うに違いない」

日本中、そんな雰囲気だったのである。

ところが、1月の中頃から中国の武漢で新型コロナウイルスの患者が増加したことが分かる。23日、中国政府は時を置かず、武漢市を封鎖した。ロックダウンが始まったのである。同地で日産、ホンダなどの工場は封鎖され、操業停止となった。トヨタが危機を感じ始めたのはここからだった。

1月30日 世界保健機関(WHO)が「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言。
2月3日 クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が横浜に帰港。
2月4日 トヨタは本社にある事務3号館の1階大部屋に新型コロナ危機に対する生産・物流対策本部を設置。世界中の最新情報を収集し、対応を実行。
2月26日 日本政府がイベントの自粛を要請。翌27日、政府は全国の小中高校に一斉休校を要請。
3月11日 WHOがパンデミックを宣言。センバツ高校野球が史上初の中止。
3月30日 東京オリンピック・パラリンピックの1年延期が決定。
3月29日 志村けんさん亡くなる。

一般の人々が新型コロナに関して恐怖を感じたのはこの日、そして女優、岡江久美子さんが亡くなった(4月23日)後からだった。

対策チームを担ったプロフェッショナルたち

4月7日 東京、大阪などの全国の7都府県へ緊急事態宣言を発令。
4月16日 緊急事態宣言を全国に拡大。
5月10日 中国、武漢の感染者が減り、1人となった。
5月14日 政府は39県の緊急事態宣言を解除。

このあたりでトヨタの生産現場における対策本部の活動は休止。ただし、対外的な支援活動は続いた。

5月25日 東京、神奈川など残る都道府県の緊急事態宣言を解除。
6月18日 東京など首都圏の1都3県や、北海道の都道府県をまたぐ移動の自粛要請が解除。

こうした状況のなか、トヨタの対策チームは動いた。主な担当の人間は次の通りになる。

生産部門のトップは執行役員でチーフ・プロダクション・オフィサーの友山茂樹。実際に現場を仕切るのは「トヨタの危機管理人」朝倉正司。朝倉は生産本部とTPS本部の本部長だ。TPS(Toyota Production System)とはトヨタ生産方式のことで、同社の改善、原価低減のツールであり、トヨタの経営哲学でもある。

朝倉を助けるのがTPSを社内外に広める生産調査部のトップでTPS本部副本部長の尾上恭吾。さらに、現場一筋の男、チーフ・モノづくり・オフィサーの河合満は危機になると現場の精神的支柱として生産現場(工場)を見回る。