―― 12月29日の区間エントリー発表で、渡辺監督は佐々木と志方の故障を明かし、「飛車角抜きで戦う」と宣言する。メディアは「早稲田三冠に赤信号」と報道し、早稲田ファンから落胆の声が上がった。しかし渡辺監督は勝利を諦めたわけではなかった。
早稲田駅伝7年の軌跡
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早稲田駅伝7年の軌跡

集中練習で故障者が出ることは、ある程度覚悟していました。今シーズン、早稲田はそうやって戦ってきたのです。たとえ主力が欠けても、それだけの練習を乗り越えたメンバーなら優勝を狙えるという計算はできていました。

いま振り返ると、ベストメンバーで臨めなかったことが、チームを引き締めたと思います。それが4年生中心の必死の走りを生み、大会新記録での優勝を引き寄せたに違いありません。

1月2日の往路は、ほぼ読み通りに展開しました。一区の大迫傑はハーフマラソンでジュニアアジア最高記録のスピードですから、飛び出せばついてくる選手はいません。二区、三区、四区で少しずつリードを稼ぎ、五区の猪俣英希までに東洋大に4分の差をつければ往路優勝できる。たとえ五区で東洋大の柏原竜二選手に抜かれても、タイム差が1分以内なら、山下り以降で逆転できると計算していました。ですから、猪俣の粘りで往路優勝の東洋大に27秒差まで詰めたことは、逆転に向けて大きな弾みになりました。

3日の復路では、六区の高野寛基が熾烈なデッドヒートと転倒で一躍スポットライトを浴びましたが、転倒についてはレース前にさんざん注意しました。深夜に雪が降って除雪車が出たから、カーブでふくらむ部分と内側の部分、そして車線のラインは絶対に踏むなよ、と何度も言い聞かせたのに、高野はそのすべてをやってくれました(笑)。高野はそういう選手です。ただ、あの山下りで見せたガッツは七区以降の選手を奮い立たせ、早稲田ファンを魅了したはずです。

七区の三田裕介、八区の北爪貴志、九区の八木勇樹、10区の中島とタスキをつなぎ、最終的には2位の東洋大に僅差で競り勝ちました。18年ぶりの総合優勝と三冠を達成し、監督としては文句のつけようがない試合でした。

今回の箱根では、監督は各区間で2回、車から降りて選手に給水することができました。往路復路ともに、ラスト3キロぐらいの最も苦しいタイミングで、選手に伴走しながら声をかけて水を手渡しました。4人の4年生には「最後だから4年間のすべてを出し切れ!」と言いました。箱根駅伝は4年生が活躍してこそ勝てる試合です。あの長い距離は、4回の夏合宿、4回の集中練習を乗り越えてきたスタミナがものをいいます。だから、4年間のすべてをぶつけてほしかったのです。

1年間の減量とジョギングは給水に役立つはずでしたが、六区の高野に水を渡したあたりで脚がつりそうになり、必死にこらえながら伴走しました。