18年ぶり、しかも大会記録を大幅に塗り替えての総合優勝。奇跡に近いと言われる出雲、全日本、箱根の三冠もやってのけた。7年前、早稲田駅伝史上最悪の状態でチームを引き受け、今年も主力選手の怪我で優勝を危ぶまれるなか、いかに勝てるチームをつくったのか。

―― 今年の箱根駅伝は、数々の名場面が生まれ、例年にも増して注目度が高かった。沿道の観客数は約112万人(主催者調べ)と過去5年では最多。生中継した日本テレビの視聴率は復路が歴代3位の29.5%を記録した(ビデオリサーチ社調べ、関東地区)。

なかでも話題を集めたのは、箱根三連覇を賭けた東洋大学と、大学駅伝三冠を狙う早稲田大学の戦い。復路六区で先頭に立った早稲田はそのままゴールまで逃げ切り、史上最短の21秒差でライバル東洋大を下した。

大手町のゴール地点で歓喜の声があがるなか、渡辺康幸監督は部員たちの胴上げで三度宙に舞い、男泣きした。

「やった勝った!」と思わずガッツポーズが出たのは、ラジオの実況で主将の中島賢士がゴールテープを切ったと聞いた瞬間でした。運営管理車からゴール地点が見えなかったので、最後の最後まで勝利は確信できませんでした。

通常は残り3キロほどでゴール地点へ先回りしますが、あのときは許されるぎりぎりまで中島についていきました。胴上げが遅れたのはそのためです。

出雲、全日本で胴上げを封印したのは「喜んでいいのは箱根で勝ってからだ」と、部員たちに、また自分自身に言い聞かせたからです。だから部員たちに抱えられた瞬間は、最高のご褒美を受け取る気持ちでした。長距離選手はみんな細いですから、15キロ減量しておいてよかったなぁと思います。

「ゴール後のインタビューや祝勝会は、クールに淡々と話してたね」

そんな感想もあとで聞きましたが、あの場ではまだ優勝のよろこびは実感できませんでした。数日が経過して、じわじわ胸にあふれてきた感じです。

優勝が決まった直後は、もう疲労困憊の極致で、笑顔が出るだけの元気もなかったというのが正直なところです。

箱根駅伝を戦い抜いた2日間の疲れ、そしてチームづくりに励んできた1年間の疲れがどっと出た思いでした。

しかも年末から体調を崩し、肉体的にも精神的にも限界を迎えていました。

箱根駅伝の直前は、合宿所で風邪やインフルエンザが広まらないように関係者一丸となって予防に努めます。それでも例年、誰かしら外から風邪をもらってきたり発熱したりするのですが、あの12月は風邪をひいた部員はゼロという素晴らしい状況でした。

そのなかで僕ひとりが風邪をひきました。「近づくんじゃない」と言いながら練習しましたが、これでもし優勝できなかったら、部員たちに顔向けできなかったと思います。