妻にだけは「今年ダメだったら辞めるよ」と話しました。若い監督とはいえ、結果が出せなければ潔く身を引くべきだと心に決めたのです。

長男の康介が生まれてからは、ずっと新宿の自宅からグラウンドへ通っていましたが、春先から月の半分は所沢の合宿所に寝泊まりしました。監督の本気度を示すだけでなく、部員一人ひとりに深く接して、彼らの状況をもっとよく知りたいと考えたからです。

減量をはじめたのも同じ頃です。僕の覚悟を目に見えるかたちで伝えたかったのですが、早朝練習に一番乗りするなどは当たり前のことです。部員たちと一緒に苦しむには何がいいかと考え、10キロ以上の減量はかなり大変だろうと思い、決めました。食事制限だけでなく、部員と一緒に走りました。そうやって彼らと1年を通じてストイックにやっていこうと考えたのです。

チーム内の緊張感も高めていきました。初めに主将を、秋には主務を交代させたことは重要でした。主将や主務は学生たちが決めるもので、これまでの人選にノーと言ったことはありません。しかし箱根での勝利は、最終的に主将と主務の力にかかっています。心を鬼にし、就任以来初めて主将と主務を交代させました。

4年生はもともと危機意識の強いメンバーが揃っていました。3年生以下に競技力の高い選手が目立つ一方で、主将の中島を筆頭に練習を重ねていく堅実なタイプが多かったのです。彼らの緊張感がチーム全体を引き締めていたところもあります。

練習量はかなり増やしました。Aチームのハードな練習で故障すれば、すぐにBチームに落とします。選手層が厚いからこそ、それができるのです。夏合宿で北海道から東京へ帰らせた部員もいました。鍛え直してまた這い上がってこい、という意味です。

ただ練習量を増やすだけでは、故障者が続出してチームはガタガタになりますが、チーム内の緊張感が高まると、不思議と故障は減ります。自己管理の能力も高まってくるのです。このことが部全体の底上げにもつながり、結果的に叩き上げの4年生が活躍した箱根の戦い方ができたのだと思います。

(太田 亨、AJPS/AFLO、PANA(代表撮影)=撮影 伊田欣司=構成)