子供心に感じた「経営者の生き方」

一方で、全く逆のことをした店がありました。その店は、私の家からは少し離れた場所にあったのですが、そのコンビニエンスストアでは、商品をむしろ安くし、その代わり、「一人一点まで」というように、多くの人に商品が届くように制限をかけてくれました。

今振り返れば、彼らも資本市場の世界のなかで戦っていたので、どちらが善で、どちらが悪かではない、と私自身は感じます。ただ、幼いながらに私はこの2つのコンビニ経営を見て「経営者の生き方そのものが現れているな」と思いました。そして、結果的に、復興を終えた後、前者の価格を釣り上げた店舗は、当時のことを覚えていた地元民から嫌われ、結局、すぐに廃業してしまったのを見て、因果応報とは、まさにこのことだな、と感じました。ただ、これはある意味で、私が見たものの「序章」でした。

なぜなら、もっと印象的なことがあったからでした。復興するなかで、さらに深く印象に残ることがあったのです。それは仮設住宅と呼ばれる臨時の家を巡る、住民と、周りの人間の変化でした。

苦しいときでも、人は支え合うことができる

震災当時、壊滅的なダメージを受けた私の地元には、多くの臨時の住宅が建てられました。「仮設住宅」と呼ばれるものです。その多くは、公園に建てられ、普段子どもたちが駆け回っていた空間はすべてなくなりました。水は、週に何度か、給水タンクを積んだトラックが地域を回り、そして長い列をなして、私たちは家族全員分の水を調達していました。電気やガスがないし、不安なので、一家みんなでリビングのこたつに潜って寝ました。水は止まり、ガスも止まっていましたが、私たちは支え合いながら生きていました。

その中で、人は本当に「生き方が問われるものだな」と感じることが何度もありました。

一つ目はポジティブなもので、職業や年齢に関係なく、自分より他人を優先できる人がいたこと。たくさんの見ず知らずの人が、私たちを助けてくれたことです。私たち、というのは私の家族というだけではなく、地域の人たちです。多くのボランティアの人がかけつけてくれました。あるいは、それは家族もそうで、知恵を使いながら家族を守ってくれた父や母、そういう姿を見て、生き方そのものだと感じました。

そして、苦しいときでも、人は誰かを助けることができる。人は、自分が苦しいときでさえ、周りの人と支え合うことができる、そう感じていました。しかし、その感想が、全く逆になったのも、この震災がきっかけでした。

それは、何年か経った頃でした。