元被災者が仮設住宅に暴言を吐く光景

被災した人々が住んでいた仮設住宅は、数年経つと、少しずつではありますが、退去できる人が増え、空き家が目立つようになってきました。私自身は完全に普通の生活に戻っていましたが、私の家の近くの公園には、まだ仮設住宅が残り、そこで生活されている方もたくさんいらっしゃいました。そこにいらっしゃる方は、まだ普通の生活に戻れていない苦しい状態でした。

私は当時、子どもだったので、公園が使えないことは不便だと思いながらも、自分もまた苦しんだからこそ、我慢するしかないなぁ、と思っていました。

しかし、ある日、学校からの帰り道、その仮設住宅に住む人に向けて、暴言を吐く人々を見ました。それは、端的にいえば、「さっさと出て行け」とか「いつまで住んでるんだ」という言葉でした。あるいは、仮設住宅に落書きをしたり、その人の家にゴミを捨てるなどの嫌がらせをして、罵倒し、一刻でも早く追い出そうとしている人もいました。

幼い私がすごく鮮烈に記憶に残ったのは、その暴言そのものではなく、暴言を吐いた人たちが、近隣住民、つまり元被災者たちだったことでした。

人間の本性は、苦しいときに出てくる

幼い私は、その光景を見て、愕然としました。

なぜなら「自分たちも被災し、たくさんの人に助けてもらったにもかかわらず、人間というのはこんなにも簡単にあのときの恩を忘れ、同じように苦しんだ他者を攻撃できるのだ」と感じたからです。他の地域から来た人ならまだしも、私たちだって被災し、支援してもらってきたにもかかわらず、たった数年経っただけで、自分と同じような、いや、自分たち以上に被害を受けた人のことを容易に攻撃できるようになる。

それが人間なのか、と思いました。

私はこのとき、人間というのは「生き方」だけは嘘がつけないものなのだ、と確信しました。年齢や国籍、職業などは関係ない。

人は言葉で嘘をつくことができても、長い目で見たときの行動では決して嘘がつけない。それが真理であると。

人間の本性というのは、苦しいときにこそ出るものです。コンビニエンスストアの例は、皆が苦しいときに経営者としてどう生きるか、そのものでした。あるいは、仮設住宅に住む人に暴言を吐いた人は、人間として、他者に向かってどう生きるか、そのものでした。