41年前の夏、星稜高校の1塁手だった加藤直樹さんは、甲子園でファールフライを落球した。その後、チームは延長18回で箕島高校にサヨナラ負け。加藤さんは「なぜあの場面で俺が」と苦しみ続けた。15年後、星稜と箕島のナインが集まり、“再試合”が行われた。最終回2死で1塁にフライが上がる。ピッチャーもキャッチャーもこう叫んだ。「加藤捕れ!」――。

※本稿は、澤宮優『世紀の落球「戦犯」と呼ばれた男たちのその後』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

野球選手内野でもラインチョーク
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「今も立ち直っていませんよ」

1979(昭和54)年8月16日。
午後4時に始まった夏の高校野球全国大会三回戦、箕島高校(和歌山県代表)対星稜高校(石川県代表)の試合は、延長戦に突入していた。甲子園球場の照明塔には灯がともり、グラウンドの芝が鮮明に浮かび上がる。
延長12回裏に、あと一つアウトを取れば勝利という場面で箕島・嶋田に同点ホームランを打たれた星稜・堅田。再び味方が一点を勝ち越した延長16回裏、二死無走者で6番森川を迎えていた。
初球。堅田のストレートを強振した森川の打球は一塁後方に上がった。一塁手加藤が駆け足でボールを追う。ついにゲームセットか――。

「今も立ち直っていませんよ」

開口一番、加藤直樹さんは明るく語った。

現在、会社員として働くかたわら、石川県金沢市で中学生の硬式野球クラブのヘッドコーチを務めている。自身の「世紀の落球」について、自宅で取材に答えてくれた。