在日米軍の戦略も変わる可能性

火山灰は航空機にとっても大敵である。上空高く舞い上がった火山灰は、偏西風に乗ってはるか東へ飛来する。富士山の風下には約3500万人の住む首都圏があり、羽田空港はもとより、成田空港までもが使用不能となる。何十日も舞い上がる火山灰は、通信・運輸を含む都市機能に大混乱をもたらすだろう。

かつて火山の噴火が、国際情勢に影響を与えたことがある。1991年のフィリピン・ピナトゥボ火山の大噴火では、風下にあった米軍のクラーク空軍基地が火山灰の被害で使えなくなった。

これを契機に米軍はフィリピン全土から撤退し、極東の軍事地図が書き換えられた。将来の富士山の噴火によって、厚木基地をはじめとする在日米軍の戦略が大きく変わる可能性もあるのだ。

富士山が噴火した場合の災害予測が、内閣府から発表されている。富士山が江戸時代のような大噴火をすれば、首都圏を中心として関東一円に影響が生じ、最大で総額2兆5000億円の被害が発生するという。

これは2004年に内閣府が行った試算であるが、東日本大震災を経験した現在では、この試算額は過小評価だったのではないか、と火山学者の多くは考えている。富士山の噴火が首都圏だけでなく関東一円に影響をもたらすことは確実だ。まさに、富士山の噴火は日本の危機管理項目の一つと言っても過言ではない。

巨大地震と富士山噴火の連動

火山の噴火は巨大地震によって引き起こされることがある。2030年代に発生が予測されている南海トラフ巨大地震が、富士山噴火を誘発することが懸念されている(拙著『京大人気講義 生き抜くための地震学』ちくま新書)。巨大地震と噴火というダブルショックが首都圏から東海地域を襲い、日本の政治経済を揺るがす一大事となる恐れがある。

江戸時代には巨大地震が発生した数年後に、富士山が大噴火を起こした事例がある。1703年の元禄関東地震(マグニチュードM8.2)の35日後に、富士山が鳴動を始めた。その4年後の1707年に、宝永地震(M8.6)が発生した。

さらに、宝永地震の49日後に富士山は南東斜面からマグマを噴出し、江戸の街に大量の火山灰を降らせたのである。ちなみに、この火山灰について江戸時代の儒者・新井白石が『折たく柴の記』に書き残しているが、富士山では最大級の噴火だった。

宝永噴火は直前の2つの巨大地震が富士山のマグマだまりに何らかの影響を与えて噴火を誘発したと考えられている。例えば、地震後にマグマだまりにかかる力が増加し、マグマを押し出した可能性が考えられる。

また、巨大地震によってマグマだまりの周囲に割れ目ができ、マグマに含まれる水分が水蒸気となって体積が急増し、外に出ようとして噴火を引き起こしたとも考えられる。いずれにせよ、宝永噴火では、地震被害の復旧で忙殺されている最中に、噴火が追い打ちをかけたのである。