iPadの構想は25年前からあった?

いま話題のiPhoneやiPadなどは、本書には一切出てこない。しかし、世界の人々を魅了する商品のつくりかたと売り方は、この本が書かれた当時、AppleIIで世界の度肝を抜いたときから、驚くほど変わっていない。迷走した時期もあったが、「王の帰還」により、「現代人にもっとも影響を及ぼす企業はアップル」というジョブズの当時の言葉が現実のものとなった。そう、四半世紀以上も前から、ジョブズはそう宣言していたのである。ほかにも現在の「ジョブズ流」を彷彿させるシーンがいくつも出てくる。

「この中に入っているちょっとすてきなものを見たくないかい?」と、マックのプロトタイプを社員たちに見せて驚かせるジョブズ。

マーケティングや経理の担当者を前に、「数字やグラフでごまかすな」とキレるジョブズ。

「マックはカルトだ」と言い切るジョブズ。

そして、1980年代前半には「本の中に入るくらいのコンピュータをつくるのが夢」と公言していたジョブズ。

「カバンの中に」ではない。「本の中に」入るくらいのコンピュータである。iPadは、すでにこの頃からジョブズには見えていたのかもしれない。

一方で、一般的には悪い面とされるアップルの「流儀」の萌芽もあった。アップルIIが爆発的に売れる牽引力となった表計算ソフト、ビジカルクをめぐるソフト会社との攻防は、現在のコンテンツ囲い込みにも通じるところがある。しかし、なぜアップルが方々から批判を受けながらもそういう方針を採り続けるのか、ジョブズという人の、創業当時から変わらないものの考え方がそこにはある。

最近のジョブズ人気で(教科書にもとりあげられているらしい)、さまざまな切り口の本も出ている。それぞれに面白く、それをきっかけにこの類まれな人物に出会えた読者は幸せである。しかしジョブズに対する理解が単なる「スピーチのうまい人」とか、「いいこと言う人」で止まってしまうのは残念だ。なぜ、一匹狼で友だちも少なかったジョブズがこれほどプレゼンがうまいのか? なぜ、読んだ瞬間魂が震えて世界中に転送したくなるようなスピーチができるのか。それを理解するための彼の前半生がこの本にある。ジョブズは一日にして成らず、なのである。

著者についても一言書いておきたい。マイケル・モーリッツは、この本を書いてほどなくして自身で起業し、その後、本書にも登場するドン・バレンタインが設立したベンチャー・キャピタルで投資家として歩み始める。彼の属するセコイア・キャピタルは、オラクル、シスコシステムズ、ヤフー、グーグル、ユーチューブ、エバーノートなど、シリコンバレーの超優良成長企業に出資してきた泣く子も黙るVCである。

そこで頭角をあらわしたモーリッツは、世界ランキング1位、2位をいったりきたりするVC界のスターとなった。ジャーナリストの松村太郎さんが「マイケル・モーリッツは1つのモデルだと思っている」と自身のブログで語っている。「TIME(誌の記者)時代、20代だからシリコンバレー配属になり、この本でそのパーソナリティに迫っているスティーブ・ジョブズに出会い、『人と違う事がなぜ良いのか』という考えに触れ得ることが出来た」。著者の人生をも変えたのが、シリコンバレーの強烈な文化だったのだ。