ジョブズをびびらせたクレイジーな大人たち
ここからは少し、本の中身に入っていこう。この本の主役の一人はジョブズだが、もう一人は共同創業者のスティーブ・ウォズニアックであり、彼らをとりまく家族や友人、同僚、仲間、ライバル、雇用主、取引業者、ベンチャー投資家など、さまざまな人間が登場する。青年時代のジョブズの言動も強烈だが、ジョブズを取り巻く人々の言動も普通じゃない。このクレイジーさがシリコンバレー文化なのである。
のちに著者、モーリッツの上司となる、豪腕ベンチャー・キャピタリストのドン・バレンタインは、ジョブズとウォズが投資を求めて訪ねてきたとき、「小さいことしか考えられないやつは絶対でかいことはやらない」と言い放って追い返した。また、ウォズが憧れた電話ハッカーのジョン・ドレイパーは、AT&T相手にさんざん悪事をはたらいたのち、監獄行きとなった。アップルの初代CEO、マイク・スコットは、ジョブズの天敵で、彼の誕生日には葬式用の白い花を送りつけてほくそえんでいたという、あのインテルの総帥(当時は副社長)、アンディ・グローブも登場する。「俺の会社の人間は引き抜くな。ところでもうちょっと株を売らないか?」などともちかけたりするあたり、怪しい銭ゲバおやじである。
さらにぶっとんでいるのが、ジョブズの最初の就職先となったアタリの経営者、ノーラン・ブッシュネルだ。この人、なんとマリファナつきの会議でハイになりながらブレストをやっていた。しかしその彼が変人で嫌われ者(当時は風呂に入らず、変な臭いまで発していたという)のジョブズが他の人と一緒に仕事をしなくていいようにコンサルタントという肩書で夜中に仕事をさせるなど、イキなとりはからいもしている。こうしたクレイジーな大人たちに助けられ、励まされ、ときには脅され、騙されながら、変わり者で泣き虫の少年だったジョブズは、帝国に君臨する王になるべく成長していくのである。
ジョブズとウォズニアック。それぞれに輝くばかりの才能に恵まれていながら、外見はまるで麻薬中毒患者と浮浪者のようだった二人の青年は、こうした破天荒な大人たちのそれぞれの欲望を栄養にしつつ、世界が注目する会社を築き上げていく。ただ面白くてやっていたビジネスがあっという間に投資家の垂涎の的となり、やがては手に負えないほど大きくなっていくさまが、二人の陶酔と苦悩を通じて描きだされている。
ジョブズとウォズの話はそのままヤフーのジェリー・ヤンとデイビッド・ファイロの話であり、グーグルのラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの話であり、いまもまさに次世代の「恐るべき子供たち」が元気に夜通し働いていることだろう。そして彼らを物色する大人たちも元気に夜通し働いている。アップル創業の話なんてはるか昔のことだと思わないでほしい。シリコンバレー文化は時間軸で見ないとわからないところがある。アップル発祥の地がグーグル発祥の地であることは偶然ではない。
組織論やリーダーシップ論としても
小飼さんが「本書はさまざまな読み方が出来る。ヴェンチャービジネスの創業のケーススタディ。ギークヴェンチャーがスーツカンパニーへと変節する過程の記録、ギークとナードの比較人類学……」と自身のブログで紹介くださった(>>小飼弾さんブログ)。まさにそのとおり。読む人の問題意識によっていくとおりにも読める本である。いたずらに厚くて長いわけではない。組織論やリーダーシップ論に興味を持っている人にも読んでもらいたいと思う。
アップルが急激に成長していたとき、地元の超優良企業であるHPや、新興の半導体企業から大勢の人が中途入社してきた。社風がまったく異なるところからきた社員たちは水と油のごとく相容れず、社内の雰囲気は最悪だった。上場すると、株を割り当てられた社員とそうでない社員の間に埋めがたい溝が生じた。また、アップルを自分の意のままにすることが、太陽が東から昇ることのように自然なことであると考えていたジョブズは、初代CEOのスコットと“戦争”とまでよばれるような諍いの絶えない日々を送る。
急成長して採用が追いつかない企業や、社風の全く異なる2社が組んだM&Aなどでみられる組織で働く人なら、このあたりの描写があまりにリアルで、四半世紀も前の外国のこととは思えないだろう。本には書かれていないが、林信行さんによると、ジョブズが復帰してからも、B.J(Before Jobs)の社員とA.J(After Jobs)の社員のあいだには、微妙な関係が生じたらしい。