納得・共感させるスピーチとグリーフケアの両立

メルケル首相のスピーチが成功したのには、もう一つ理由がある。話題を出す順番が見事だったのだ。まず冒頭に、「首相として、また政府全体の基本的な考えを伝えるため、民主主義国家でその政治が下す決定の透明性を確保し、説明を尽くすことが必要である」と明言した(政治の透明性=前提の説明)

それに基づき、感染拡大については、継続的に協議を行っている専門家、研究機関を明らかにした。国民に強いる行動の制約は、感染速度を遅らせる、ワクチン開発の時間を稼ぐ、医療崩壊を回避するためという理由を明確にした(根拠の提示)

続いて、社会経済活動の制約については、「絶対的な必要性が無ければ正当化し得ない。安易に決めてはならず、決めるのであれば、一時的にすべき」と明言した(意志決定のプロセスおよび考え方)

そして、経済的打撃に直面する企業や労働者を支援するあらゆる策を講じる力と意思があることを強調した(支援の意志)

このように、メルケル首相は国民に対して政治的判断を、ただ決定事項的に伝えるのではなく、それぞれの決定に至ったプロセスと根拠、そして考え方を明確かつ丁寧に説明した。また、国民に対して一方向で発信したにもかかわらず、「ええ、わかります」と時折相づちを打つのは、まるで、国民の声を傾聴しているかのようだ。

原稿を読むだけでは聞き手に信頼してもらえない

これは、「グリーフケア」と共通する手法である。グリーフケアとは、悲嘆を抱える人の側に寄り添い、サポートする心のケアを指す。その最初の一歩はゆっくりとうなずくことだ。声にならない内なる声に理解を示すため、ゆっくりとうなずく。欧米では、人固有の喪失感に寄り添うグリーフケアは、終末医療のターミナルケアと死生学とともに宗教的な背景で発展した。

人は、喪失感を共有する信頼できる存在を求め、共に次の一歩を踏み出そうとする傾向がある。メルケル首相は、国民の生死の不安を包み込むようなたおやかさで、国民との信頼関係を構築した。そして、避けることのできない制約を伝えるに至った。こうした寄り添うプロセスは、まさにグリーフケアだ。

グリーフケアの考え方は、ある業務でも効力を発揮する。それは誰もが避けたいであろう「クレーム処理」においてだ。知人の大手企業のクレーム処理代行会社の社長いわく、とにかく相手の主張を丁寧に聞き、信頼関係を築くことで、最終的には円満に近い形でこちらの要望を受け入れてもらえるようになるという。