戦国最強といわれた騎馬軍団を率いた武田信玄。戦略家としてのみならず、「信玄堤(しんげんづつみ)」に代表される治水工事や金山開発を成功させるなど政治家としても一流だった。そうした成果の背景にあったのが、武田24将などの家臣団の活躍だ。

信玄は「自分が人を使うのは、その人の業を使うのだ」という言葉を残している。リーダーが人を使うとき、肩書や見た目で人を判断せず、その人物がどのような能力を持っているのかに重点を置くべきということである。

人を見た目で判断せず、能力で評価する信玄の姿勢としては、山本勘介の重用が象徴的だ。勘介は謎が多く実在すらも疑われる人物だが、上杉謙信との「川中島の戦い」では「啄木鳥(きつつき)の戦法」を編み出すなど卓越した戦略家として名を残している。ただ、『甲陽軍鑑』によると背が低く色黒の醜い男で、隻眼のうえ片足も不自由だったという。このため、長い間、仕官することができなかった。たとえば今川義元は、勘介の見た目を気味悪がって寄せ付けなかった。