コントローラーの数字とアルファベットを操作して、ロボットに指令を送る。すると、両手でさっと紙コップを抱え上げ、よいしょ、よいしょと運んでいく。滑らかな歩き方とはいえないが、ユーモラスな動きに思わず、にやっとする。
ロボットの一連の動作を見ながら、ふと、からくりの「茶運び人形」を思い出した。からくり儀右衛門の異名を取り、東芝の創業者でもあった田中久重のあの傑作である。1世紀後の“現代からくり三銃士”が味わったロボット製作の戦いの軌跡に迫ってみたい。
タカラトミーが開発したヒト型二足歩行ロボット「アイソボット(i-SOBOT)」の名は、「私(アイ)と遊ぼう、ロボット(ソボット)」からくる。販売価格は2万9800円(税別)だが、3万円を切る価格設定は、タカラトミーにとって賭けに近かった。
「今から7年前のちょうど今頃、社の上層部に向けてプランを出したんです。20くらいのアイデアのなかに、4年後に低価格のロボット、それも2万~3万円のヒト型二足歩行ロボットの案を上位に入れておいた。ところが、上からは『そんなものできるわけがない』と厳しい状況でのスタートでした」
開発本部戦略開発室シーズ開発グループの渡辺公貴グループリーダーは、当時の心境を正直に話す。
しかし、上司から「NO」と言われたアイデアがヒット商品に化けるのはこの業界にはよくある話だ。だから、渡辺はハードを担当する同グループの米田陽亮エキスパートに声をかけ、試作機の設計を急いでもらった……。
もしこう書くことができれば一気呵成に開発が進んだようでいいが、実際の話は何度も中断、中断を繰り返し、1号機の試作が完成したのは2004年12月末。構想から2年半の歳月が流れていた。
経営幹部を前にした試作1号機のお披露目会は、このような状況だったという。かろうじて試作機の手足は動くが、足はぐらぐらで、赤ちゃんのようなよちよち歩きしかできない。
「こんなロボットじゃ売れないよ」「もう、こんなものはやめたほうがいい」など、容赦のない言葉が浴びせかけられた。米田は、1号機の“欠陥”をこう振り返る。
「全体のプロポーションに比べて足が長めだったこともありますが、サーボモーターのバネの強度が足りず、すり足に近い形でしか動きませんでした。しかも、何回か動かすうちに、ギアの歯が飛んで壊れてしまう。円盤のようにつるつるになったバネを見て、この構造では無理だと正直思いました」
バネの強度不足――この点をいかに克服するか、アイソボットの成功を決定づける最難関のハードルとなったが、「サーボのバネさえ克服できれば」と渡辺と米田はそう確信したようだ。この着眼点は間違っていなかった。問題は、二足歩行ロボットの製作が難しいという社内の重い空気だった。(文中敬称略)
※雑誌掲載当時