ロボット開発復活の狼煙は意外なところから立ちのぼった。06年3月、タカラとトミーが合併してタカラトミーが発足したのを機に、渡辺がひとつの区切りをつけるつもりで佐藤慶太副社長にロボットの試作機を見せたところ、佐藤から予想外の質問が飛んできた。

佐藤 「そのロボット、いくらぐらいで売るつもりなの」
渡辺 「できれば、2万~3万円で」
佐藤 「そんな値段でできるの?」
渡辺 「はい、できます」
佐藤 「それならやってみたらいい」


サーボモーターの内部を公開! クラッチバネ(左下写真中央)が、ロボットの関節を動かす役目を果たす。このバネは、セイコークロックの技術が随所に盛り込まれている。大きさはほんの数mm、指先に載るほどの小さな部品だが、「材質や焼き入れなどがノウハウの固まり、真似しようと思っても真似できない」(渡辺)。アイソボットの滑らかな動きを演出する“コアの技術”はまさに「日本の技術」だ。

この言葉に、渡辺は「わが意を得たり」の思いがした。一方、同席した米田は無言のままだった。

「研究してみたら面白いかもね、というぐらいの感じだった」と米田は話す。2人の受け止め方にはかなりの温度差があったが、これをきっかけにアイソボット実現に向け大きく舵が切られた。

クリアすべき最大のハードルは、先述したバネの強度不足解消に絞りこまれた。渡辺は時計メーカーの精工舎(現・セイコークロック)に勤務していたことがある。そのためにこの人脈を生かし、両社共同で開発することを提案した。セイコークロックの元上司の応援もあって「世界に誇る時計の技術」を生かした部品が完成した(写真キャプションを参照)。そしてこのクラッチバネ内蔵のサーボモーター17個を積んだ、アイソボットがハード面で完成したのだ。

次にソフトの設計がロボットの動きの死命を制する。これは同じシーズ開発グループの苑田文明エキスパートに委ねられたが、こんなコンセプトを頭に描いて製作に入った。

「最大の命題は、価格を3万円以内に抑え、家庭で買ってもらえること。それには、格好いい動きも重要ですが、陽気な三枚目として誰にも好かれるキャラクターが大事です。おどけたフラダンスやカンフーの動きも取り入れました」

ソフトの作成作業は地道だった。社員が運動着姿でさまざまな動きをするのをビデオに撮影して、中から面白そうな動作を選んでパソコンにプログラムを入力。朝9時から深夜1、2時頃までの作業を1カ月以上繰り返し、約200種類の行動パターン、約180の言葉を話すロボットに仕立て上げた。

30、40代の中年層だけでなく、60歳以上の老年層にも人気を呼び、発売から1年半で約5万個を販売。07年にはギネス世界記録として「世界最小の量産化されているヒト型ロボット」に認定され、08年には経済産業省の「ロボット大賞」を受賞している。

日本の製造業の軸足がアジア諸国へと移るなか、渡辺が「台湾、韓国メーカーがうちのコンセプトをコピーしようとした形跡が3、4回あるが、皆さん失敗している」と語るように、アイソボットは日本に残すべき高付加価値のモノづくりの今後を示唆している。(文中敬称略)

※雑誌掲載当時

(川本聖哉=撮影)