なぜ主語の明示が必要なのでしょう。

報道では、記事に必ず盛り込まなくてはいけない要素は「5W1H」です。Who:誰が When:いつ Where:どこで What:何を Why:なぜ How:どのように――この6要素がなぜ重要かというと、それによって「事実A」を「他の事実B」と分離・特定することができるからです。この中でも「誰が」行為Aをしているのか、という主語の特定がもっとも重要であることは言うまでもありません。

ところが、こうした原則はいまやどこかにいってしまったかのようです。

「党内では○○○といった臆測も流れた」
「この決定そのものが「誤算」続きだったとの指摘もある」
「このままだと選挙は厳しいと予想していたからだとされる」
「党内ではもはや死に体だとの見方が強まってきた」

こうした言い回しをご覧になることは珍しくないのではないでしょうか。憶測を流した、指摘をした、予想をした、見方を強めた等の主語がきわめてあいまいです。こうした文章は、私の新米時代のデスクなら「誰がそう言っているんだ?」と言って書き直していたはずです。

主語が不明確な文章は、発信者の思惑が含まれている可能性も

私がふだん読んでいる英語のニュース媒体なら、匿名にしてソースを伏せるにしても、何らかの主語が明記されています。

烏賀陽弘道『フェイクニュースの見分け方』(新潮社)
烏賀陽弘道『フェイクニュースの見分け方』(新潮社)

こうした主語が不明確な文章はなぜ有害なのでしょうか。それは「どれくらい事実と考えてよいのか」が読者にわからないからです。

誰が「憶測」しているのか。「見方をしている」のか。複数なのか、単数なのか。国会議員なのか。職員、党員なのか。あるいはどこかの新聞・テレビの政治担当記者がそう言っているのか。あるいは筆者自身がそう思っているだけなのか。極端な場合、取材しないで作文したのかもしれない。

こうした情報にもまた発信者の思惑や意図が含まれている、すなわちフェイクである可能性が十分あります。

ここに挙げたのは、私なりの職業経験から導いた法則のようなものです。

「これは単なるオピニオンではないか」
「この人は代理話者ではないか」
「このエピソードの主語は誰なのだ」

といった視点を持つことによって、フェイクニュースに騙されるリスクは下げられるだろうと思います。

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