近代日本の「失敗の本質」を見据えよ
このたび筆者が出版した『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』は、戦前の日本において、外交と軍事の総合調整、古い言葉でいえば「国務と統帥の統合」がどのように形成され、破綻したかを再検討した本である。
そのために、明治以来の近代日本の来し方──歴代総理の戦争指導、昭和前期に生じた国務と統帥の分裂による軍の暴走、大日本帝国の滅亡の歴史──を振り返っている。日本の行動を世界史の文脈に置きながら、今を生きる私たちが祖国の歴史から何を教訓としてすくい取ることができるのかを再考してみた。
同時に、統帥権の独立と軍の暴走がなかったら、日本は二十世紀の世界の潮流について行けていたのだろうかという「仮定の問題」も併せて考えた。
十八世紀末の産業革命は、人類に高度な工業技術を与え、初めて地球的規模で人類を大規模に結びつける力を与えた。人類社会全体を構想し、組織化することが可能になった。それ以降、人類社会は、ゆっくりと倫理的に成熟してきた。戦争から平和へ、ブロック経済から自由貿易へ、独裁から自由へ、そしてあらゆる差別や格差から平等へ。
しかし、その過程では世界大戦、全体主義、共産革命、独裁、大量虐殺、都市労働者の貧困、人種差別、地球的規模での植民地化等、多くの過ちが起きた。
それでも今、個人の尊厳を基盤とした、合意に基づく自由主義的な国際秩序が、地球的規模でその大きな姿を現しつつある。
『歴史の教訓』では、20世紀前半の日本はなぜ、人類社会の倫理的成熟を待てなかったのかという問題も併せて考えた。その問いこそが、21世紀に日本が拠って立つべき「価値の外交」を構想するための鍵を、今を生きる私たちに与えてくれるからである。