カリスマ性は裸の男になることから生まれる

人を動かすためには論理が大切です。とくに若い頃は、そう考えていました。今でも基本は同じですが、年齢を重ね、ポジションが上がってくるにつれ、カリスマ性や情緒性も必要だと感じるようになってきました。

企業やグループという1つの組織の中にも、頭に当たる部分から手足までいろいろあるので、私のめざす方向やメッセージを全部の人に理解し納得してもらうには、ある程度、感性的な面も必要だということです。つまり、カリスマ性で人を動かし組織を引っ張っていく。

しかし、現代のカリスマ性は、かつてのそれとは異なります。私が若い頃、社長は雲の上の存在でした。発言など何も聞こえてこない。そういう形でカリスマ性が醸しだされていたわけです。

ところが現代は違います。IR活動等も含め、自分を知らしめようとしないのは、むしろ無能の証拠。だから無理をしてでも真っ裸な自分をさらけ出して、「こういう俺と一緒にやろうッ」と呼びかけているのです。「私はこういう弱い人間の1人だけど、本気で命懸けで闘っている」という姿を社員に見てもらうことこそ、現代のカリスマ性に繋がると私は信じています。

だから会議でも率直に発言し、怒るべきときは激しく怒るのです。

当社グループは従業員4万人、売上高3兆円規模の会社。トップともなると次々と報告を受けて決定を下すことも含め、朝から晩まで会議の連続のようなもの。会議続きのスケジュールの中から自分の時間を生み出すための工夫もしています。たとえば30分の枠で予定が組まれていたら20分で仕上げ、残りを自分の時間に充てる。そういう時間の活用も常に心がけています。

私が国際会議で実感しているのは日本人の交渉能力の貧弱さです。欧米人に比べ圧倒的に弱い。私が子会社で光ディスク事業に取り組んでいたとき、国際標準を検討する委員会に出席する機会がありました。このとき欧州企業の代表が、自社のパテントに有利で、かつ誰もが納得せざるをえないような方向に議論を導いていった手腕には目を見張るものがありました。日本の教育に、そういったディベートの訓練がほとんど皆無なのは国として大きな問題だと思います。

グローバルな展開では諸外国と交渉で渡り合うことも必要。そのためにも、まずは社内の会議が、無駄な儀式を排した自由闊達な議論の場でなければならないと思っています。

(小山唯史=構成 神村大介=撮影)