マレーシアの法改正を目指す自腹のプロジェクト
初期開発に必要な機材や経費、渡航費は自腹で賄った。熱量があるうちにプロトタイプ(試作品)を出す必要があったからだ。自社のプロジェクトとして投資してもらう、第三者に投資してもらう。そういう選択肢もあったが、パワーポイントの企画書だけで承諾を得るには時間がかかる。
2018年5月、スポンサーもないままに松坂が個人のプロジェクトとして取り掛かると、プロジェクトに共感して無償で手を貸してくれる協力者も現れた。プロボノとして多くの協力者を巻き込むからには、そのリソースをいつまでも借りるわけにはいかない。そう思い動きを加速させると2018年12月からは会社のプロジェクトとして採択され、業務時間を割り当てられるようになり、一年弱でかたちになった。
そうして2019年に被害者のメンタルヘルス向上とマレーシアの性的暴行に関する法改正を目指すためのプロトタイプが世に出る。
性的暴行やDVの被害者に過去の自分に向けた手紙を書いてもらう。その際、筆圧と感情にひもづく脳波を計測。採取したデータを元に、手紙を動的なアート作品にする。2018年から2019年にかけて、30人以上に取り組んでもらった。松坂はこれを「Project Unsilence(プロジェクト・アンサイレンス)」と名づけた。
「無関心な人たち」をアートで振り向かせたい
「このプロジェクトには2つのミッションがあります。1つは、『ライティングセラピー』のアップデートです。手紙を書くことは、過去と現在を客観的に見るというセラピー効果がある。しかし実際のセラピーは施術者によって質にバラつきが出ます。治療のための客観的な判断軸や根拠がないからです。脳波のデータを集めることで、セラピーの質を向上させたい」
「もう1つは、アートという表現を通して、この問題に無関心な人たちを振り向かせることです。被害者の心のうちはすごく複雑です。性的暴行やDV被害にあっても、恋人に対して憎しみと愛情が混ざりあっている。だから別れられないこともある。その複雑な感情を可視化するにはビジュアル表現が必要だと思った。ユイニーの場合、手紙を書き出した時には光のトゲのようなものがワーッと出てくる。そこからさらに書き連ねていくと今度はトゲが心臓のようにバクバクと動いて飛び出してくる。言葉では表現できない複雑な感情が一目でわかると思います」
先のWAO調査が示すように、マレーシアの性暴力被害には顕在化していない事例も多い。このプロジェクトをはじめた後、松坂は同僚の男性から「実は自分の妹も被害者なんだ……」と涙ながらに打ち明けられたという。