江戸時代を階級闘争史観でみる歴史学は古いものとなり、有名な「村八分」という近世村落における私的制裁も、実際には村落共同体の崩壊が進んだ明治以降にむしろ頻発し、近代以降に後付けされたものであるとの説が主流になってきた。

お上の言いつけに厳格に従う従順な日本人像

近世以前の日本人にはそのような陰湿な同調圧力は希薄で、農民が田畑を放り投げ、江戸や大坂(大阪)などの大都市部等に職を求めて流入する勝手気ままな性質が浮き彫りになっている。幕府はそのたびに数多の「帰村令(帰農令)」を出したが、「お上」の言うことを聞かない民衆は、ほとぼりが冷めるとまた担当田畑を捨てて逃散を繰り返した。

「お上」の縛りで有名な5代将軍綱吉による、いわゆる「生類憐みの令(――実際には諸法令の総称)」も、野犬による伝染病や感染症から身体弱者を守る朱子学的政策にほかならず、この時期に来日したドイツ人医師・ケンペルも、「お上の言いつけに厳格に従う従順な日本人像」などどこにも記してはいない(――よって現在、綱吉治世の再評価が急速に進んでいる)。

また、古代・中世期の日本は「島国」とは程遠い、環日本海文化圏をその土台として、島嶼とうしょを超えた大陸との広範な交流を活発に行ってきたことが明らかになっている。

俗にいう「島国根性」「日本人気質」は、同調的で相互監視的で「お上」の意向にことさら弱く従順、とされがちな日本人の民族性を指した言葉だ。だが、古くからこの国の人々にそういった性質が強固に根付いたわけではない。

コロナで「島国根性」「日本人気質」がむき出しに

現在のコロナ禍では、この俗にいう「島国根性」「日本人気質」がむき出しになっている。感染が発覚した患者宅への投石や差別落書きを筆頭に、お上による自粛「要請」にもかかわらず、まるで法を破った罪人であるかのように旅行をした芸能人をつるし上げて叩く。感染を公表した俳優の石田純一氏へは、出演するラジオ局(私も別曜日で出演している)へ、石田氏個人を批判する声が寄せられているという。

そればかりではなく、自粛「要請」の段階で経済自衛のためやむなく営業を続ける小売店やパチンコ店へ、市民が自主的にその営業実態をお上に通報する事態が相次いでいる。これらは法的根拠に基づかない「この非常時に不道徳である」という観念に基づいた自発的な制裁で、つまりは私的制裁の一種である。

私は数年前、コロナ禍が起こることなど予想できなかった時分に、人々が不倫などを行った著名人を「不道徳である」と決めつけ、電話やメールで徹底的に叩き制裁する風潮を「道徳自警団」と名付けたが、ようするにこの「道徳自警団」による私的制裁、集団リンチがコロナ禍によって噴出しているのである。