一篇の掌編小説を読み終えたような、静かな感動
数々の至言の背景には、この作家の平坦とはほど遠い実人生がある。著者が小学生の頃、生家の鉄工所は倒産。父親は〈浮気者でギャンブル依存症で嘘つきのどうしようもない人間〉で、長年〈父から筆舌に尽くし難い苦しみを受けてきた〉母親は、ある日〈決然と家を出て〉、たった1人で自由に生きた(晩年は森進一の追っかけに)。
心底父親が嫌いで、〈一刻も早く、家を出ることだけを考えていた〉著者は、大学1年のとき〈学生運動で逮捕され、拘置所生活を送る〉。大学を中退しても定職につけず、〈20代のほぼすべてを日雇いの肉体労働者として〉過ごす。作家になるのは30代。離婚4回、5回の結婚──。
贅肉をそぎ落とし、600字に凝縮した回答の鋭い切れ味に、一篇の掌編小説を読み終えたような静かな感動を味わうこともあるのだ。
卓抜な回答が、自分が何か相談を受けたときのヒントになるかといえば、それこそ無理な相談だろう。作家の言葉の豊かさ、奥深さは、凡人の及ぶところではない。
ただ一点、相談者に向き合う姿勢だけは、誰にも参考になるはずだ。
〈わたしに誇れる点があるとするなら、誰よりもきちんと、悩みを抱く人たちのことばに耳をかたむけようとしてきたことだと思います〉
毎日新聞の連載は今も続いている。