ショーケンの音楽へのこだわりは強かった

「もう一つ、どうしても譲れないのは音楽だ。これもおれがやる」

ショーケンが自著『ショーケン』で、こう語っているのを読んだ。これを読むと、音楽へのこだわりの強さがよくわかる。引用してみよう。

“1972年にPYGを解散してから、自分では歌っていない。歌にかける気持ちにおいては、沢田研二に一歩も二歩も譲らざるを得ない。まだ、そんな思いを引きずっていたから。自分では歌わない代わりに、映画やドラマの音楽と、グループサウンズで知り合った仲間につくってもらおうと思った。“

ショーケンが推薦してくれたのは、PYGというバンドで一緒にやっていた大野克夫だった。

「大野さんは素晴らしいメロディラインをたくさん持っているから、きっと斬新なBG音楽ができるよ」

最後には、こうまで言ってきた。

「だまされたと思って、大野克夫を使ってみてよ」

本人の段取りもスピーディだった

だまされるつもりは毛頭なかったが、私はそれほど音楽に明るくない。直属の上司の津田昭制作局長に相談した。彼は後に、系列会社であるレコード会社・バップの社長、会長を歴任された方である。

今でも感謝しているが、そもそも「太陽にほえろ!」が時代劇よりよい、と番組を決めてくれた人でもある。おまけに、第40話まで、プロデューサーとして私とともに名を連ねてくれた。もし番組がうまくいかなかった時、私が困った立場に追い込まれないようにするためである。

音楽に詳しい局長は即座に「それは面白いよ」と太鼓判を押してくれた。ショーケンの段取りは、とてもスピーディだった。

「大野さんがやってくれるって言ってるから、会って」

そして、すぐに会うことになる。