江戸時代は鎖国していたというが、実際にはオランダや中国などを通じてさまざまな輸入品が手に入った。中でも“万能薬”として重宝されていたのが「ミイラ」だ。歴史研究家の河合敦氏は「江戸時代の人々はけがや病気を治す薬としてミイラを食べていた」という――。

※本稿は、河合敦『禁断の江戸史 教科書に載らない江戸の事件簿』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

エジプトファラオ
※写真はイメージです(写真=iStock.com/KriveArt)

鎖国中の江戸時代に輸入雑貨屋が存在した

江戸時代は鎖国していたというが、長崎におけるオランダや中国(明→清)、釜山における朝鮮とは、かなりの大規模な交易をしている。だから、さまざまな舶来品が国内に流れ込んできており、お金さえ出せばそれらを手に入れることができた。

なんと、唐物屋といわれる、いわゆる輸入雑貨屋も存在したのである。『摂津名所図絵』(寛政八~十年・一七九六~九八)には、大坂の唐物屋の店内が描かれている。それを見ると、西洋の椅子やワイングラス、中国製の壺、孔雀の羽などが所狭しと並んでいるし、客寄せのためエレキテル(オランダの医療器具)の実験がおこなわれている。

また、寛政の三美人など美人画で有名な喜多川歌麿には「俗ニいうばくれん」と題した作品がある。その女性は、袖をまくり上げて二の腕をあらわにし、左手でむんずと蟹を手づかみにし、右手でワイングラスを持って酒を飲んでいる。そんな姿が描かれるほど、舶来品のグラスは一般的なものだったのである。

そうした輸入品の中で、大きな話題になったのが、享保十三年(一七二八)に将軍吉宗が輸入した動物だ。そう、象である。吉宗は海外の動植物にとても興味を持っており、これ以前にもオランダからアラビア種の馬を輸入、南部馬と掛けあわせて体格の向上をはかっている。