二〇一九年十一月から二〇二〇年二月にかけて国立科学博物館で特別展「ミイラ」が開催されたが、わずか三カ月足らずで三十万人を突破する人気である。これまで何度もミイラ展が開かれていることからも、ミイラが日本人に人気だとわかる。

ただ、江戸時代にミイラが輸入されたのは、展示して見物させることが目的ではない。なんと食べるためだったのである。ミイラを買い取ったのは薬屋や医師たち。そう、ミイラは薬として珍重されていたのである。では、いったいどんな病気に効き目があるのか?

貝原益軒の『大和本草』(宝永六年・一七〇九)は、日本内外の千三百六十二種の動植物・鉱物の効能などをまとめた大著だが、その中に木乃伊の項目がある。そこには、次のように記されている。

「打ち身や骨折箇所に塗る。虚弱や貧血に桐の実の大きさに丸めたミイラの丸薬を一日一、二度ほどお湯で服用する。産後の出血、刀傷、吐血、下血のさいに服用する。気疲れ、胸痛、たんがあるときは、酒や湯と一緒に飲む。しゃくり胸痛も同様。虫歯には患部の穴に蜜を加えてミイラをつける。頭痛、めまいは湯とともに服用。毒虫や獣に咬まれたときは粉末にして油を加えて塗る。妊婦が転んで気を失ったときは、ミイラを火で炙って、そのにおいをかがせるとよい。痘疹が出たときは、身体を温めてから服用する。食あたりはお湯で、二日酔いは冷水で服す」

いかがであろうか、ミイラが万能薬だったことがわかるだろう。

防腐剤に「天然の抗生物質」が使われていた

「そんな馬鹿な」と思うだろうが、薬効があるのは確かである。エジプトのミイラには腐敗を防ぐために防腐剤が塗られているが、その主成分はプロポリス。そうミツバチの巣からほんのわずかしか採取できない有機物質で、最高の健康食品として高価な値段で売られている。

プロポリスは、テルペノイド、フラボノイド、アルテピリンなどで構成され「天然の抗生物質」と呼ばれ、抗菌作用が強く、滋養強壮に効くとともに、ピロリ菌を抑えるので、確かに胃腸炎には効果があるはず。迷信ではなく、本当に病気に効いたからこそ、江戸時代の人びとはミイラを輸入したのである。

ちなみに当時の人びとは、ミイラが人間の死体だと知っていて服用したのだろうか。じつは、知っていたのである。ただし、なぜ人間がこのような乾燥状態になるのかについてはよくわかっていなかったようだ。『大和本草』では、諸説を紹介している。

たとえば、砂漠を往来していて悪い風のために人びとは砂の中でとろけてミイラになるという説。けれど著者の益軒は、この説を否定し、「罪人ヲトラヘテ薬ニテムシ焼」きにしたのがミイラだと考えている。まったく見当はずれだが、なかなかユニークだ。

ちなみに我が国にも東北地方を中心に即身仏の風習があり、アジアでも中国西部や中央アジアを中心に各地にミイラ信仰が残っている。