お互いが倖せに生きるのがパートナーシップ

その後、リストラに遭い、当時付き合っていた祐ちゃんと、もう結婚は面倒だからいいかなと思っていたが、彼女とのやりとりで自分の存在を許せた僕は、49歳のとき、2度目の結婚に挑戦しようと思った。

勝屋久『人生の目的の見つけ方 自分と真剣に向き合って学んだ「倖せの法則」』(KADOKAWA)
勝屋久『人生の目的の見つけ方 自分と真剣に向き合って学んだ「倖せの法則」』(KADOKAWA)

しかし、本当のところ、不安はぬぐえていなかった。実際にどのようにパートナーシップを築いていけばいいのか、わからなかったのだ。前妻のときも倖せにしたくて、一緒に倖せになりたくて結婚したけれど、できなかった。そして実際に、離婚するのは大変だったので、今度こそ失敗したくないという怖れも強かった。だけど、今までに、お手本となるビジョンを感じるような倖せな夫婦にも出会ったことがなかったので、どうすればいいのかイメージすら湧かなかった。

悶々とする中で、「そもそも結婚って何なんだろう?」「結婚する必要があるのだろうか?」「パートナーシップって何だ?」という疑問が湧いてきて、どんどん意味がわからなくなっていった。そしてあるとき、祐ちゃんに意見を求めた。すると彼女はこう言った。

「パートナーシップとは、相手を通して自分とつながること。そして、お互いを育み合うこと。その結果、ずっと一緒かどうか、先のことは誰にもわからないけれど、それぞれが自分の人生を倖せに生きることが目的だと思う」

「母親フィルター」がつくり出す理想像

母親が無意識につくり出す観念は、そのまま子どもに影響を及ぼす。特に息子には色濃く出る。そんなことを昔、教わった。

祐ちゃんに「付き合っている頃はとてもしっかりしていて、紳士的な対応だった。今ではとても考えられないけど(笑)」と言われたことがある。「男は優しくなければだめ」「男はしっかりしなきゃだめ」ということを、小さい頃から、何かがあるたびに母親に言われてきた。そして、父親がそうでないことの不満も必ずセットでついてきた。

母親が放つ言葉と気持ちが僕の中にどんどん染み込み、母親がイメージする男性理想像(虚像)を形成して、大人になっていく。男はしっかりしなければならない。男は優しくあらねばならない。まさに「気をつけて」生きる人生になってしまっていた。

そのことにも気づかずに。自分の本当の気持ちを無視して、虚像になろうとして、過去ずっと女性と接していた。前妻のときもそうだったし、付き合い始めの祐ちゃんにもそうだった。その一つが紳士的な対応だった。